お久しぶりです、ダヲコです。
すっかり涼しくなりましたね。
蝉の声も聴けなくなってしまいました。
夏好きとしてはすこしさみしい!
夜、窓を開けていると風と虫の声が心地よいです。
秋の虫の声はきれいですね。
ちょうど今も窓を開けてちいさいころ歌った童謡の「虫のこえ」を思い出しながら書いています。
すこしひんやりした気候は過ごしやすいですね。
さっきまで降っていた雨も今は止みましたが、
ニュースを見ていると九州・四国地方は台風で荒れているようで心配です。
無事に通り過ぎていってくれることを祈ってます。
窓を揺らす程の強風や土砂降りな雨は、不安になりますよね。
ちいさいころは大きな稲妻を家の中から眺め空が裂けるような雷鳴にどきどきわくわくしていたけれど、
この頃はただただこわいなあーとおもいます。
かなしいきもちな人が少しでも減ったらいいと
おもってます。きれいごとだとしても。
私は音楽で自分のかなしいきもちややるせないきもちを昇華させています。
自分が救われるのなら、私と似たようなきもちのひとはちょっとでもきもちが楽になったりするんじゃないかと。
それはいま、音楽をやっているなかでの希望です。
救うという表現はすこし偉そうだなあと思う。
私は私を救ってる状態という表現がしっくりくるのは
救われている実感があるからなので私以外のひとを救いたいという言い方は余りにも大それた話に思える。
神様ではないし。何か良い言い方はないかしら。
やさしいせかいに近づけるために
やさしいきもちになれるひとと居ること
やさしいきもちになれるものと出会うこと
やさしいせかいってなんだろうって考えること
頭の中でもわもわといつも浮かんでいる
思慮の塊を言語化すると、すこしすっきりするよ。
得体の知れない思惑ばかりになると、疲れてしまうからなるべく形にしていきたい。
何か残さないとと、
一人で部屋にいるとそればかり思う。
そんな一日でたくさんはできないとわかっていても、常に鈍い焦燥感に駆られる。
たくさんにしたとしても、薄まるだけかもしれない。
ただ排出するのが目的ではなく、きれいだと思える作品を残していきたいですせっかくなら。
技術を磨くのは時間と向き合うきもちが大切ですね。
ギターを練習していると、当たり前のことに気づけますね。
排出してきれいなものになるまでのスピードがはやいのが写真や絵ですね。
音楽は過程にもよりますが、はやいほうだとはおもいます。
もやもやを今日もノートに書いたり描いたり。
手書きで残すのは、その時のきもちの揺れ具合が文字に現れるから。
より鮮明に残るのは、やはり手書きのような気がします。
手書きの文字っていいですよね、そのひとがあらわれる。
手書き文字を見てもっと好きになっちゃうひととかいるなあ。ないすチャームポイント。
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ライブも終わり(今回のツアーのことについてはまた改めてじっくり書こうとおもっています。大切なツアーでしたので)
すこし日々が落ち着いたので友達と旅行に行ったんです。
私は旅がすきです。自然がすきです。神社とか、すきです。あと、地方の居酒屋さんがすきです。
海外も勿論いきたいところたくさんあるけれど、
今年は日本で行ったこと無いところ行ってみたい。
こないだの旅行の時も、各地でそれぞれ自然の色がちがうのに気づきました。海の色もちがっていた。
旅先でみた夕焼けは桃花色で、
水縹から淡藤色へ変化していく空は
幻想的でした。やさしいあまさ。
不思議なことに旅で出会うどの色も日本的な色なんですよね。
日本を感じるということなのですが、感覚的な話なので言葉だと難しいですね。
日本の自然の色たちがすきです。
どこかすこしさみしいきもちになるでもいやなさみしさじゃない色なんですね。
船が海を進むたびに跳ね上がる白い粒たちをずーっと見ていた。
凪いでいる水面に反射する光はきらきらで、
きらきらという表現以外浮かばないくらいきらきらしていた。水色と白、光溢れる旅でした。
旅先でも東京でも最近カネコアヤノさんの
新譜をよく聴いています。
どの曲も歌詞がとても良いなあーと、
自分と重ねて胸をきゅーんとさせております。
“かみつきたい”と“ぼくら花束みたいに寄り添って”
の歌詞が特にすきです。
些細なことで感動しているし瞳の中に宇宙があるよねえーと聴くたびに深く頷くきもち。
今の気候にもぴったりで、今年の秋を思い出したい時はこのアルバムを聴くんだろうな。
このアルバムに流れている時間の中に居たいって思います。
いい匂いの生活感がするというか。
めちゃくちゃすきってこと!
ライブもいきたいなあ。泣いてしまいそう、笑。
ここから音楽の制作期間に入るので、
旅や本でチャージしながら、頑張ります。
それではみなさま
またあいましょうね!