anima

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皆さん、こんばんは。

久しぶりの更新になってしまいましたね。

お元気でしたか?

まだまだコロナ禍、緩みそうな気を引き締めて、手洗い・うがい・消毒しっかりしていきましょうね!

今のなんとも言えない気持ちに寄り添う新譜が配信開始されました。

4th Album “ anima “

https://tf.lnk.to/anima

届きはじめているでしょうか?

ずーっと、繰り返しこのアルバムを聴いて過ごしていたので、自分以外の人と感覚を共有できるのがとっても嬉しいです!

そしてこんなに感想が気になるアルバムは前代未聞だっ。

内容については、一先ずナタリーのインタビューで一通りお話ししておりまして、ライターの佐野さんが引き出してくださった言葉たちもあるので、今はそちらをみていただいたほうが良いかなあ。

https://natalie.mu/music/pp/daoko07

24日のドミューンでも片寄さんと一緒にアルバム全曲解説したのですが、時間的に全然話し足りなかったのでまた何処かで機会を設けたいなと思っております笑。

宇川さんがとっても素敵な人で、もっと話したかったでした。

配信ライブもほぼ初めてだったんですが、想像以上にちゃんとライブの感覚で出来たなーと思います。

カメラの向こう側にお客さんを想像できた!

想像力(妄想力?)、大切ですね笑。

とはいえライブハウスで演るライブの”代わり”にはならないなぁとやってみて確信しました。

あくまで、配信ライブという別のコミュニケーション方法という認識ですね。

ライブができない状況でもリスナーと、コミュニケーションがとりたいから演る。

ライブハウスは体感ですからね。それに勝るものは難しいと思います。電波を通っちゃうわけですからね。ホカホカご飯も届くまでに冷めちゃうよなんつって。

生のエネルギーは半端ないです!!!はやくライブ行って踊りたい(ライブ好き)

配信のやり方をもっと考えていかないとなぁと思いました。

演出含め、届けるなら工夫して届けたいですよね。

配信ライブする為にもお金が必要だし、少人数とはいえ人が集まることにはなるので対策面もしっかりしていかないといけない中、ただ演るだけではどうなんだろうかと。

そのアーティストにしかできないような配信ライブが出来たらいいなぁと。自分だけじゃなく配信ライブやりたいと思ってる方々の思いも考えたりしています。

その点ドミューンの宇川さんがご提案してくださったAR演出などは、とっても良いなと思いました。

視覚的に楽しい要素が増えるってことですからね。

リスナーさんに楽しんでいただける仕掛けを、アーティスト自身も考えていかなければならない時期なんだと思います。動かなければ確実に淘汰されてしまうものがある、とわかっているからこわいですよね。

現に私の思い出の場所であったクラブも次々無くなっているし。場所だけじゃなくて、アーティスト達も苦しくなって音楽やめざるを得ない、なんて嫌ですよね。かなしすぎる。

2020.06.24 @DOMMUNE

脱線してしまいましたが、アルバムについてお話を少し。

2年程の制作期間中、丁寧に音と言葉と人と向き合って出来た結晶のようなアルバムです。

自分で音楽家の皆さんにお声掛けしたり、作曲に挑戦してみたり、原点回帰とも言えるだろうし、新たな世界も広がった大切な宝物のような存在です。

純度が高いといいますか、混じり気のない音楽だと思います。

今までの活動全てを私は愛しているし、

その時々のベストを尽くしてきましたが、

自分の本当に好きなものがわかった状態で、

自分にしか作ることができないと思える作品を具現化できたことが素晴らしい出来事なんです。

好き!のパワーはすごいってことですよっ。

形になったことで凄く救われました。

しかもその結晶が、とっても綺麗だなーと、思うんです。

俯瞰でみてるつもりだけど、どうしても作り手の愛があるので完全俯瞰ではなさそう…。

1曲目のVOICEの歌詞にもあるように、

このアルバムがこれから先歩んでいく未来への行きの切符なんだろうなと思っています。

私は音楽が大好きだなと再認識したし、

MVのコンテを描いたり、音源を届ける方法も自分で提案したり、音楽だけでなく自己表現について真摯に向き合うきっかけにもなりました。

音楽を作って終わりではなく、その音楽を届ける為に様々な職業の人がいて、ひとりでは作り上げることができないこと。

当たり前のことであるし、知っていたけど、それでも目の当たりにして、感謝の気持ちでいっぱいになり、今居る大切な人たちに恩返ししていきたいと強く思いました。

バンドメンバーと出会ってライブを重ねてからも、音楽に対する愛は深まるばかりです。

それぞれの素晴らしい演奏と音楽愛にいつも刺激を貰っています。皆キャラがあって仲睦まじいのもめちゃんこ微笑ましい笑。

衣装テーマ: ダヲレンジャー

今回音作りに関わってくれた人たちは、

古くからの知人が多いです。

時を経て再び出会うことは運命を感じますね。

私自身が音楽家達のファンであるから、

やったー!一緒に作れるなんて!嬉しい!

という気持ち笑。

それはそれは、良いエネルギーに溢れ、

楽しみながら制作することができました。

風通しがよいと、純度の高い作品が生まれるんだなあ。

私は色んなジャンルの音楽が好きです。

広く浅くというと少し恥ずかしい感じがするけど、

曲単位で恋をしている感じで、

この曲好きだ!となると、

これはジャンルで言うとなんだ?と調べて知ることが多いです。

ドラムンベースとかね!!!(Zukizuki)

YouTubeやサブスクリプションのプレイリストみたいな感覚ですね。

CD文化も体験しているけど、インターネットを早くから利用していたので、良くも悪くも広く浅く…。

浅い深いも人それぞれですしね。

なんともいえないところではあるのですが。

一つの音楽を突き詰めて掘り下げていくことに

憧れもあるし、コンプレックスを感じたりもするのですが、今回のアルバムを経て、私はこれでいいんだ!と振り切ることができたなぁと思います。

あの音楽がすきなのでこの音楽になりましたという感じ。

私にとって音楽は日常を彩る色彩で、欠くことのできない存在です。

人によって存在意義も違いますよね、きっと。

コロナを経験して、音楽なんて聴きたくないなーって気分の人はまだまだ世界中にたくさん居ることでしょう。

実際に私も緊急事態宣言中はやさしい音楽(インスト多め)ばかり聴いていましたしね。

そんな中でリリースしたアルバムですが、延期も選択肢にはありました。

予定通りにしたのは、このアルバムの曲達は寄り添えるやさしさを持った曲達だと思ったからです。

フィジカルリリースは7月29日になりました。

通販あるとはいえ、ネットショッピング苦手な人もいるし、CD屋さんに行くこと自体躊躇してしまう人も居ますしね。

私も落ち着くまで人混みはなるべく避けたいと思ってます。

でもCDはCDでやっぱりいいですよ、音も配信より良いし、今回はブックレットで私が敬愛するイラストレーターの始発ちゃんさんが沢山描き下ろしイラストが見れるので、手にとって歌詞と絵を楽しんで欲しいなぁーと思っています。

飾っても素敵だろうなあ。

繊細でうつくしい織物のような線達に引き込まれます。

描かれる少女たちは可愛いらしいけれどどこか寂しげで、心がギュッとするんです。

曲を聴いて描いてくださった絵もあるので、始発さん自身も、アルバムに寄り添ってくれたことに感謝しています。

一緒に渋谷をお散歩しながらロケハンしたのも良い思い出です。

なぜ渋谷にしたかというと、都市開発で工事が盛んに行われていて目まぐるしく景色が変わっている最中だったからです。

はじめてライブをしたり、ライブをたくさん観に行ったり、学校以外で友達が出来て、クラブ文化に触れ、古着屋BOYを通してファッションに興味を持ったり…色鮮やかな思い出がある渋谷ですが、空が無くなってきている。

渋谷に固執していた時期もありますが、今は自然の中に魂がある感覚があり、海や森や田んぼに行くと息がしやすいなぁと思います。

たくさん通ったし、今も訪れることは多い渋谷ですが、これからどうなってしまうんだろう?工事はいつおわるんだろう?

疑問を可視化したかんじですね。

あの頃の渋谷の欠片を写したアートワークになってます。

ギリギリセーフ!てタイミングでしたね笑。

頭の中に浮かび続ける ??? の正体を確かめる為に、哲学や生物学、自然学などの本をよく読みます。

答えが知りたいのではなく、単純に頭の中の思惑が文章化されてると凄く落ち着くんですよね。それと、よかったーこう思ってたの私だけじゃなかったんだ!と、感覚を共有できるのが面白くて。

今回アルバムにはそんな本達から出会った言葉も散りばめられています。

キーワードとしては、meme、デザイノイド、◯….

まだまだあるから見つけてみてくださいね。

特にanimaという曲の歌詞が、思惑の総集編って感じです。普段考えてることを語感の気持ち良さ、韻律も考えた上で音楽に乗せるのは難しいけど楽しい作業でした。

ドミューンでの片寄さんとの対談のときに、

普段の私と歌詞の世界の私とではギャップがあるという話があったのですが、確かにそうなんですよね。

陰鬱でエッジの効いた毒々しい言葉も時には使うんですが、普通に普段思うんですよ、皆が裏垢で書いているようなことも。でも私は作品の中に閉じ込めてるだけなんだと思います笑。アウトプット先が違うのと、表現はうつくしくあってほしいという自分なりの拘りみたいなものがあるので、言葉は考えます。吐瀉物そのまま見せないようにしてるって感じかな…濾過して濾過して、作品になる。

多重人格の病気の話ではないんですが、

自分の中に幾人かの人格があって、嫌な奴も居るんですけど、許せないんですよね。自分で自分を。

作品の中では好きにして良いよーってルールを作れば、無理がない。

嫌なことって、発したら自分に絶対返ってくるんですよ。因果応報って言葉がありますが。

だからなるべく、誰にでも、やさしい人間でありたい。

ああ嫌なことを言ってしまったなって思うと、ブーメランに鋭利な刃がついて返ってくる感じ。

心にグサーと刺さりますよね。

自分が辛くならないための自己防衛でもありそうですね。

健やかに暮らして行く為にも、生きがいを持って生きていく為にも、表現がとても向いているなぁと思います。

自分が好きな自分で居られる人・ものに囲まれて生きていけたらいいですね。

私にとって音楽はひかりでもあります。

祈りはひかりにも似ていて、

祈りで織ったこのアルバムが、

聴いてくれた人のひかりになりますように。

ささやかでいい、日々の彩りになりますように。

ダヲコ

静かな部屋

投稿日:

皆さんどうも、お元気ですか。

粛々と、静かな日々を過ごしております。

花に水をやり、今日のご飯は何にしようかと考え、読みかけの本たちをパラパラ読み、気が向いたら絵を描き、歌を歌い、このさきを見つめる。

頭の中の声は変わらず多弁で、

悩みの種は雨のように降り続け、

そのどれもがこどものもつような“?”なのだろう。

「見えている赤色はみんなが見えている赤色なのだろうか?」

「音楽を可視化するなら、ギターはエッジの効いたトゲトゲで肩の辺りを浮遊していて、ベースは脊髄のあたりからじんわり響く感じ、ドラムは骨盤の…」

など、頭の中では取り留めのない話題で常に会議が行われている。

ほとほと疲れてしまう時があり、

そういう時は部屋を真っ暗にして、静寂の中ベッドに逃げ込む。

小さい頃みた心霊番組のおかげでオカルトの類が全方位苦手になったのだが、

一度暗闇ととけこむような感覚を覚えると、本質的にはこわくなくなった(ような気がする)

とはいえ、ホラー映画を観たりはできないけれども。

ひたすらに睡眠に徹していても、都合よく熟睡できるわけではなく度々起きる、感覚的に回復し切れてないのを確認し、また夢の中へ。

その合間に七色に光る閃光をリビングを隔てる戸の隙間に見たり、

誰かの低い声が右側から聴こえたように思えても、

不思議とこわくない。

オカルト的現象のそのすべてが幻聴・幻覚であるかもしれないが、其れらをまやかしだと証明できる術もない。

結局一番こわいのは人間だーとも思うし(人間同士でしか傷つけ合えないから)

生霊・言霊の存在も否定できない。

私は霊感も無いし、実際にお化けを見たことがない。

でも人生の中では、心から感動し、一生忘れないであろう景色・瞬間がある。

それは涙を流すほど美しく、生きててよかったと強く思えるような場面。

その瞬間、その場所にはかみさまが居たのではないか、と最近思う。

と言うよりか、この感覚が“かみさま”として語り継がれているのだろうな、と感じた。

そしてそんなことを考えていたときに偶々読んだユングの本にも同じような事が書いてあり、他にも同じように思った人が居たんだと感動した。

私が哲学や心理学や生物学の本を読み漁るのが好きなのは、

頭の中で次々と浮かぶ“?”を処理するためである。

自分なりの思惑を、誰かと共有(共感)したいのだ。

共感するために本を読んでいるともいえる。

17歳の時、初めてニーチェのニヒリズム(特に強さのニヒリズム)を知ったとき、心震えた。

まさしく!私も同じことを感じていたんだと。

共感したことで、私だけじゃないんだと言う安心感が生まれたし、

生きるとはなんぞや?と深く考えてる人が沢山いると言うことを知って希望が持てた。

生きることは辛いことだ、でも生きるしかない。

皆が辛いと知ることで、わたしも皆と同じ人間なんだと思えた。

それでも、その本に書いてある100%共感できるわけでは無く、一冊に対して10%でも共感できたら嬉しいものである(歌詞に対しても同じような事が起こる)

私の頭の中の“?”は、きっと誰かの脳内で似たような形で生まれてきたものなんだ。

まったく同じじゃなくて、限りなく近い形で。

“?”と向き合う事で、生きる意味を見出している。

そして創作が生まれる。

まったく生きづらい、みんなこんなに生きづらいの?とまた“?”は生まれる。

そして消える事はないだろう。

再び本を読み、人間同士触れ合う。

誰かの感覚になれたらいいのに。

そしたらやさしい世界に近づくのに。

酷い言葉も無くなって、犯罪も無くなるんじゃないか。

でもそれは不可能だ。

わかっているけれど、私は他人の感覚になってみたい。

想像する。でも正解かはその人自身にしかわからない。

「どうしてそのような言葉をお発しに?」と、

確認できる相手とできない相手が居るし、

出来る関係性であっても一々そんな事を聴いてくる輩は鬱陶しくて堪らないだろう。

「自分で考えて!」と投げ出したくなるのも解る。

つい、うっかりハテナをぶつけてしまうが、なるべく、なるべく口を紡ぐようにする。

そして文献に頼る…。

私は普段鈍感らしく、変なところだけ神経質で、抜けているところは滅法脱けている。

確かに、言われてみるまで気づかなかった…と言う癖が23歳にもなって次々発覚する。

A型だと思って生きてきたが、去年の元旦献血をした際にO型だと知る(今までの血液型占い、一体だれの運勢で一喜一憂していたのか…)

なんでも本に頼るのは自分の考える力を弱らせてしまうのではないだろうかとも思うのだが、甘んじて手を伸ばしてしまう。

本や他人の知恵に頼らず器用で柔軟に生きる人に憧れる。

その人なりにうんと頭を使って、見出してきた答え。

一人一人全く違う思想を持っている、その人にとって一番しっくりくる答えが、その人の答えだ。

環境の違いと言い出したら全ては環境の違いでお終いになるので、

できるだけ努力して、まともな人間に近づいていきたい。

〜まともがわからない♪

一人一人が別人格で、家族であろうと別個体な訳で、

ばらばらなのだけれども、人間はやわらかい。

やわらかいのでみんな微調整して生きていく事ができる、と思っている。

その中でも、かたくてとげとげした同士は似たような形をした人達が集まる場所がきっとあるだろうし、

やわらかくなれる方法はたくさんあるかもしれない。

夜風が気持ちいい季節ですね。

荒ぶる風音は少し心がざわつきますね。

雨雲は流れ、晴れるでしょうか。

おやすみなさい。

メモ: 音楽は記憶のトリガーになったりもする。

明日天気になあれ

投稿日:


一日の殆どを家で過ごし、

食糧の調達の為、外に出る。

何通りかある近所のスーパーまでの道。

なんとなくの気分で今日の道筋を決めて進む。

ツツジがぶわ、と咲き連なる垣根。

小学生の頃迄は、採ってちゅーちゅー蜜を舐めていたなーと、思い出す。

今となっては千切るのはかわいそうでできないし、

排気ガスも気になる。

地面に目をやると、蟻が白い欠片を運んでる。

“ただ見ている”という感覚は、いつぶりだろう。

懐かしい感覚。とうに忘れていた自然観察。

旅先の山々や田んぼには、度々見惚れるけれど。

ぼーっと、ありふれた日常の、東京の、コンクリートの間を繋ぎとめるかのような、ちいさな草花やそこに生きる虫達を、傍観するのだ。こどものように。

人通りがない瞬間、マスクをズラして空気を吸う。

生ぬるく湿った風が頬を撫で、初夏の匂いが胸いっぱいに広がる。

この匂いで、じんわりと胸が熱くなるのは、何回目だろう。

深呼吸をする。

呼吸の度、記憶の中へ潜っていく。

散歩の時間に、よくこどもを見かける。

保育園や幼稚園、学校がお休みだからだろう。

私が君たちの年齢だったら、どうなっていたかな?

過去の記憶を思い返す。

断片的ではあるが景色は鮮明に次々と浮かんでゆく−−−

然し、その時の自分の気持ちが思い出せない。

ぽっかりと、空白だ。

どんな気持ちでそこに居たのかわからない。

過去の自分が、本当に今の自分と同一人物なのか、

途端に不安になったりする。

同一人物でしかないのだけども。

あれもわたし。これもわたし。 

わたし、なんだけど、今のわたし、ではない。

人間は、その生涯のうち、幾度と無く人格が再形成されていくものなのだろうか。

直近の、今現在の自分の感覚しか確かだと言えない。

現実味がなく、過去は確かな感覚と不確かな感覚、両方含んでいるから変な感じ。

夢と似ているとも言える。

此れは、単純に自分の脳の容量が相当ちいさいってことなのか?

だとしたら由々しき事態であるが…

私はもしかして、ふつう、ではないのか?

もしかしたら凄く変??–––

幼少期を振り返る最中、頭の中でこんなことを喋っていた。 

みんなの感覚が、みんなの普通が、知りたい。

まともがわからない。 

何をもって普通とするのか、正解はない。

人と繋がって生きていきたい故に、

人間に共通する感覚を知ることは、必要不可欠であると考える。

音楽を通して人間を知り、未だ知らぬ私を知りたい。

上記で書き連ねてきた通り、自粛期間中は何度も幼少期の感覚に触れる。

掃除もその要素をもつ。

時間がある分、普段より念入りに掃除をする。

床をボロ切れで拭いていると、小学校の掃除の時間を思い出す。

青いバケツが濁っていく。

身の回りが綺麗になると、

いろんな物事が すう と、こころにとけてゆく。

でも、わたしはもうこども ではないようだ。

ぴかぴかのお天気の中、行き交う歩行者を見ていると、そんなに暗いかんじがしない。

でも家に帰り、TV・ネットニュースを見ると、此方側の晴れ間は当分先のように思える。

みんながつらい。

なにかしたいんだ。 

其々がウズウズとしている。

でもお家で待とうね。

余白の中でなにかできることはないか、考える。

自分が得意な方法で、みんなとたのしめることを。

家という限られた空間で提供できる、音楽のたのしいこと、たくさんは無い。と思う。

でも何かしら必ず、或る。

ライブはできないよ暫く、きっと。

とにかく人と会わないように。

莫大な情報網・インターネットの中であっても、

今の今、出来ることは限られている。

じたばたせずに、息を丁寧に吸って吐く。

にんげんの健康が大切なので、

静かな暮らしを、暫く続けてみよう。

みなさんの暮らしが、凪の水面のように静かでありますようにと、祈るばかりです。

こころ穏やかに。

生活の中に細やかな幸せをみつけられますように。

音楽は光のよう。光は祈りのよう。

世界を変えるような大きな力はないかもしれない。

でもそれでよいのだと思う。

音がふりそそげば、辺りがあかるくなるだろう。

心に灯れば、あたたかくなる。 

稀有でうつくしい、おんがく




おんがくがすきだ

おんがくの一部になれて幸せです

ありがとう 

明日天気になあれ



切符

投稿日:



上手く切り揃えられずどんどん短くなっていく前髪を

鏡で見て、

こんなこともひとりでできないのか、とおもう。

今までわたしたちが摂取していた”当たり前”が姿を消していく。

人に会えない時間の中で人のことを考える。

否が応でも、自分自身のこころと向き合うことになる。

こんがらがった果ては、単純明快。

“音楽が好きだ” “音楽(表現)で他者と繋がりたい”

普段からなんとなく浮かんでいるものが浮き彫りになっていく感覚は、

音楽をはじめた頃の、初期衝動に近い。

エネルギイを溜める(貯める)ことに専念し、

そして事態が休息した時に、

このエネルギイで皆といっぱい遊べたらいいな、と思っています。

⚪︎

⚪︎

⚪︎

余談ですが、省エネモードに適応すべくゆる断食(かなり)をしてみた結果。

抑圧された環境下の中耐えられず1日しかできなかったけど、

それでもごはんが美味しくて美味しくて。

やっと会えた時の嬉しさったら、すごいなー。

また今までの様に遊べる日が来たら楽しくて堪らんだろうなと、

当たり前だった過去の絵を未来に浮かべるのでした。

⚪︎

⚪︎

⚪︎

表現者というものは、感受してくれる人が居ることでその形になれる。

家では、皆おなじ人間で或る。

ステージ上・メディア上での人物像をあわせると、

アーティストは誰でも多重人格的ともいえる….と思う。

全ての人格を含めての”ひとり”であるから、

ひとり欠けた状態の今、ひとりぶんの熱量が余る。

だからこの時間は無駄では無いと思える。

何か表現しなくちゃ、残さなくちゃ、と毎日焦燥感に駆られるも、

自分自身だけを救う作品は今じゃ無い。

みんなの幸せを想像する。

想像力が備わっていてよかったよ。

想像力のおかげで、やさしさが生まれる、と思っている。

やさしい世界になりますように。

祈りの日々はつづく。

わたしが愛する世界の一部として、役割を果たしたい。


⚪︎

⚪︎

⚪︎

久しぶりに(といっても2日ぶりくらい)音楽を聴いたら、

なんかよくわからんけども、ちょっと、涙がでた。

懐かしい曲を聴いたからだろう。

音楽を聴いた瞬間に世界が変わる。旅に出る。

音楽は記憶と密接である。匂いと同等レヴェルだと思う。

わたしが聴いたのは、

ムード・インディゴ 〜うたかたの日々〜 という

ミシェル・ゴンドリー監督の映画主題歌である“ghost surfer”

17歳の時に横浜の映画館で観た以来、私の人生で度々流れる曲。

音楽としての素晴らしさは度外視して、

その時見えている景色と自分の感情とが、黄金比のような形で合わさって、

総合的に、かけがえのない、とてもうつくしい宝物になる。

そして音楽(曲)が鍵となって、またその場所へ行くことができる。

そこでは今も(いつでも・いつまでも)観覧車がゆっくりと回っているし、

東京湾はきらきらと揺れている。

こんなふうに、すばらしい場所に連れて行ってくれる曲たちが或る。

たくさんはない、大切な友人だってたくさんはいない。

この世界とお別れをしなければならない時が来たら、

残された時間、鍵となる曲たちを聴き、旅をして過ごしたい。

そしてわたしも、誰かにとって、すばらしい景色に行ける鍵となるような

音楽を作れたらいいな。

わたしが音楽をどうしようもなく好きなのは、

音の粒そのもののうつくしさを愛しているからでもあるし、

演奏家の魂が宿ったLIVEで心が震えたりするからでもあり、

忘れられない思い出にはいつも音楽が鳴っていて、

その時鳴っていた音楽(テーマソングのよう)を聴けば

いつでも回帰できる、旅の切符のようなものでもあるからです。

過去はふとした瞬間に夢幻かのように思え、

「あれ?あれは夢だったのかしら。」となりますが、

音楽がキーとなって脳が覚えているのです。

カレンダーにいくら記録して、見返しても、

その時の心模様までは再現できません。

今日も音楽の力を借りて、いろいろなところへ旅にでる。

みんなはどこへいくのだろうか。

prayer

投稿日:

祈るように歌う 

にんげんがにんげんに

音楽は祈りのよう

形なき光

耳と心で感受する

無くても生きていけるものに救われているひとがいる

にんげんの暮らしを 心を

より”良く”するための祈りです

確かなのは心の震えだけ

すばらしいこと うつくしいこと

出会ったきらめきを描写する

光を伝えるために闇を描くこともある

大きな力はなくていい

細やかな祈りであれ

人は時偶 魔がさすが

音楽はいつまでも 在る限り在るままだ

あなたを救った音楽があなたを裏切ることはないだろう

おちゃらけたよ

投稿日:

みなさん、おはようございます。

お家でなにしましょうかねえ。

先日、あたらしい曲『おちゃらけたよ』が、

サブスクリプションで配信開始となり、

ミュージックビデオも公開されました。

今の状況では、きっと音楽を聴く気分になれない方も

たくさんいらっしゃるのだろうなと思いつつも、

私は日々音楽に救われ続けているから、

気が向いたときにでも聴いて頂けたら幸いです。


移動中欠かさず聴いている音楽の種類も、変わってきました。

眩しすぎず でもほの暖かく やわらかな色合い そんな音楽を

無意識的に選んでいるような気がします。

(具体的な例でいうと、レイハラカミさんやトクマルシューゴさん…)

なんとなく 陽だまりを求めているんだろうな。

どんな時でも安心できる体温ほどの温度で包んでくれるそんな場所を。

音楽は聴く人の居場所でもありますね。

いつでも出会った時の姿のまま、迎えてくれる。

LIVEだとまた違った表情になったりするけど、

知れば知るほど(聴けば聴くほど)「こんな一面があったんだ」など

発見がありますよねえ。

それもまた音楽のたのしいところのひとつ。

聴く媒体によっても変わってきますしね、CD レコード カセット。

全然違いますよね。音で言ったら私はカセットとレコードが好きだなあ。

移動中は基本的にサブスクリプションにしているから、

家でゆっくり作業しながら聴きたいのはレコード(ちょっと贅沢なきもち)

カセットも家で聴くけど、ポータブルカセットプレイヤーを持ってお散歩も

春の陽気にぴったりですね。でも今はできないか….。

余談ですが、サブスクリプション用のマスタリングとCD用のマスタリング、

本当は変えた方が良いんだなあって、

この間エンジニアさんと片寄さんと話していてハッとした。

正解はないんですが。

音量のことって、あんまり考えたことなかったけど(自分で調節できるから)、

サブスクで音楽聴くときって

いろんな音楽をたくさん聴けるからそのぶん、

聴いた瞬間の音量って大きい方がインパクトがあるのは当然だなあと。

単純に一聴して オッ て なるとゆーね。

印象重視の音作りの方がプレイリストでまとめられたときに耳に残ってもらいやすいだろうな。

CDは寧ろ自由にマスタリングできるかもねー、とか、そんなことを考えていました。

理想を叶えるのはなかなかリッチなことですけど、ほんとは適材適所な音楽がしたい。

リスナーが好きな媒体と音を選んで聴けるの、たのしいと思うし。

比較するのも面白そう(なかなかのマニアだ)

と、制作中の音源のMIXを聴き比べていたときに色々と閃いたのでした。

料理も最終調整で味を整えますよね、そんなかんじです。

ちょっぴり味を濃くしてみたり、甘みを足したり。

絵の工程でもありますね。

ほぼ完成の状態に最後、描き込んだり色を抜いてみたり…。

少し手を加えただけで不思議な位変わったりするので面白いなーて。

いちばんおいしいところ、たのしい作業でもありますね。

うーん、音楽探検隊。奥深し。(ジツニオモシロイ)

さてさて

なんだか脱線してしまいましたが、

今回は新曲『おちゃらけたよ』について書きます。

この曲はインドネシア在住の同い年ビートメイカーpxzvcさんと作った楽曲です。

彼との出会いは小袋成彬さんからのご紹介でした。

一年半ほど前、

小袋さんと『御伽の街』制作中いろんなやりとりをしているなかで、

「カッコイイビートメイカーいるんだよねー」と、

紹介してくださったのがこの曲

いや〜 すきですよね〜〜

と、なり、気になりチェックしていた矢先に

小袋さんはインドネシアまで会いに行っていたのだ!(行動力がすごい)(見習いたい)

インドネシアから連絡が「彼、daokoの曲が好きだったんだって」と!

え、ええ〜海を越えて、そんな偶然、ある?!まいったな〜と舞い上がり、

3人のグループを作って貰ったのがきっかけです。

そこからpxzvcさんとは2曲demoを作り(ソッコーでトラック来て最高だった)

その中の1曲がこの『おちゃらけたよ』なんです。

当時私が見た渋谷はスクランブルスクエア建設中だったり、

駅周辺はものすごいスピードで変わっていってる最中。

元々渋谷の古着屋さんBOYとの出会いであったり、

旧PARCO内の2.5Dでライブをしたり、円山町で友人たちと遊んだり、

ティーンを過ごした思い出深い土地ではあったのですが、

トイズファクトリーに所属してからは益々訪れる機会が増え、

見慣れた景色がなんとなくぼんやりとあったんです。

そしてある日ふと空を見上げたら、空がビルで殆どみえなくなっていた。

自然物がない 完璧なデザインの集合体が増殖していく 

人間の肌色がなんだか浮いてるような 居心地の悪さを感じて、

これは私がこの街に見合っていないのか 生命のスピードが

まったく追いついていかない 歩むごと 離れていく 街と私。

焦燥をかんじながらも、絶望もできない。

そんな、なんともいえない気持ちを表現した曲です。

歌詞で「熱量 漏れ出す疫病」と書きましたが、

これはコロナには全く関係ありません。

そもそも制作は1年半前にしていましたから。

どんな偶然だい。と思いながら、

不安を煽るような感じ方をさせてしまっていたら申し訳ないです。

これはSNSやニュースを見たときに感じる、“人々の漏電”を

暗喩した文でした。

どろどろと、人間のエネルギーが垂れ流されていく、簡単に。

よくない風潮が人と人に伝染していっている。

それを傍観している少女の目線で語っています。

⚪︎

⚪︎

⚪︎

おちゃらけたよ

渋滞した脳幹に囁やけば 勝算なんか冗談にして
好感を買えるのは 余裕かどうか必死かどうか 
どちらかなんだ

どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ

死ぬ程なんて 死んでから言ってくれないか
爽快なやつを頼むよ
カッといってクッと見渡せるやつを
今日もシャワーで実像の汚れを落とそう
排水口から逃げ出すことはできなそう
「何もかもなくなれば!」と滅亡を願っても 
数分後には笑えるよ 熱量 漏れ出す疫病

どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ
どんな言葉で言えばいいんだろうね
街に出たら賑わいと酸欠で おちゃらけたよ

ひとりで喚く力も
いつのまにかなくなっていた
見透かしたような言葉で
わたしを閉じ込めて 何が楽しいの?

どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ
どんな言葉で言えばいいんだろうね
街に出たら賑わいと酸欠で おちゃらけたよ

⚪︎

⚪︎

⚪︎

今回のミュージックビデオはまずコンテを描き、そのコンテを元に

古くからの友人でもあるKota Watanabeさんと一緒に作り上げていきました。

絵は浮かんでも、それを実際三次元で実現することはひとりではできない。

今回関わってくれたひとたちのお陰で、

私の頭の中だけにあったイメージが、誰しもが観れる形で実現した。

頭から飛び出したような感覚。カンドーです!

初期コンテ

四角い窓だけある 白い部屋 白い衣装 胸に赤い丸 

ひとりで踊っている少女 シュール すこしこわい

こんなイメージで作り始めました。


衣装制作は飯嶋久美子さん(通称ぽろんちゃん)

ヘアメイクは久慈愛さん(通称ヘアメイク界のディーヴァ)

なんて愛に溢れた現場でしょうか。

そして今回とってもお世話になったのが、ELEVENPLAYのNON先生です。

ShibuyaKの時からのお付き合いで、ここ数年は個人レッスンでダンスを教わっている広島弁がめちゃんこかわいい尊敬する恩師です。

コンテに寄り添って、なおかつ私の癖を理解した上でピッタリな振りを

作ってきてくれるんです…。

踊るの楽しくて好きだし、何よりNONさんが大好きすぎるので、

教わり続けていきたいなー。

普段は私の好きな曲に振りをつけて頂き踊ったりしてます。

これがめっちゃたのしい(笑) りふれっしゅや〜

照明は光の魔術師と名高い yukimaeshimaさんです。

今回白い部屋だけというロケーションの中で、朝と昼と夜の移り変わりを

照明で表現してくださっています。す、すごい。

まえしーさんの光、なんとも綺麗で好きなんですよね。

いつもみなさんありがとう。

おふしょっと
(胸の赤丸は自分でペイントしましたアクリル絵の具で)


ここまで読んで頂きありがとうございました。

どんな気持ちでいたらいいかわからないひとがたくさんいると思います。

私もそのひとりです。

今は、音楽が心休まる場所になればいいな。

そんな祈りを込めた曲のご紹介でした。

どうかみなさまご自愛くださいね。

ダヲコ

グランドピアノ

投稿日:


こんばんちー、ダヲコです。

胸が騒つくニュースが行き交うなか、

わたしは日々レコーディングやリハーサルなどをしておりました(この日記は2月から書き始めていた文章を整えたものなのでちょっと変なとこあるやも)

ビルボード東阪&大森靖子さん対バンを予定していた3月のライブはコロナウイルスの影響で、無くなってしまいました。

たのしみにしてくださってた皆さま、ごめんなさい。

私もとってもたのしみにしていたので、本来踊るはずだった胸も踊らず、しばらくしゅんとしておりました。

しゅんとしててもただ布団に沈み込むだけで、綺麗な夢も見れないし。

落胆するのは非常に飽きる。

世界が灰色のフィルターがかかったように見えるのは、

マスクで表情がよくわからないからでしょうか。

毎日そこらじゅう蔓延る病魔のせいでしょうか。

なんだかおかしいよねえ。

私の知らない世界に、今まさに私は居る。

ただひたすらに美しいものがみたい。

無性に欲しているから表現するしかない。

音楽で人は感動することができる。

扱う言葉に心を込めたい。

皆さんお家で何しておられますか?

外に出たくてもこわくて出られない人たちも

たくさんいらっしゃると思います。

音楽はいいですよ。

色があって匂いがあって。

たまにはお家でゆっくり音に耳を傾けたら、

今まで聴こえていなかった音たちに出会えるかも。

丁寧に聴くとき、何度繰り返し聴いた曲でもあたらしい発見がありますよ。

大阪・東京ビルボードでのライブは、

ピアノに網守将平さん、ギターには永井聖一さん。

そしてチェロに四家卯大さんを迎えたアコースティック編成での公演を想定しておりました。

以下はリハーサル期間中に書き留めていた文章です。

思い返せば、チェロの音を間近&生で聴いたことがありませんでした。なんと。

実際演奏を共にすると普段体感したことのない心地の良い音が鳴っていて、身体の軸に、心に響きわたる〜。

繊細なのに芯が太くて、胸がぎゅーんとなります。

曠然たる大地のやう。

ビルボードは網守氏、グランドピアノの予定だったんですよ…ライブでグランドピアノを使って歌うの初めてだったからたのしみしてたんけど。

リハーサルで練習したとき、歌いやすくてびっくりしましたよー。

生の楽器にしか出せない艶・色・温度がありますよねえ。

それに合わせた声もまた、いつもとは違う色がでるので面白い。

世界を彩る、父なる空のやう。

ギターの永井さんは、優しい音からカッコイー音まで魔法のように奏でてくれる。

でもどんな音もキラキラしてて、パチパチしてる。

楽器が身体の一部のやうだから人柄もでちゃうってわけかー!

草原に咲く花々、宙に踊る蝶の如しー。

そうそう。

練習中、御三方の姿を見ていて、楽器が身体の一部となっているように感じたんですよ。

勿論プロなのだから!そらそうか!と思いながらも、神経が通っていないはずのものに神経が通っているような感覚を覚えるって凄いことだなあと。

錯覚ではないように感じる。

偶々仕事でご一緒する古くからの友人でもあるヨーヨーのパフォーマンスで世界一をとったことがある方に「バンドメンバーの楽器がそれぞれの身体の一部にみえたんですよねえ〜」と話したら、

「確かにその頃はヨーヨーに神経が通っている感覚だったなー」と仰っていたので、極めし者たちは皆そうなんだなぁーと感心しました。

ボールはともだち こわくないよ….てきなねー。

私の楽器は声であり、そもそも私の身体の一部であるものだからなあ。

それでも声が楽器みたいだと思えるようになったのは最近のことです。

具合が悪かったら調整ができるものだし(ボイスケア+声帯のストレッチなどがある)向き合えば仲良くなれるし、

そもそも付属されてるかどうかってそんな関係のない話なのかもしれません。

当たり前なのかな。

考え事の最中「当たり前じゃんね」とよく心の声が突っ込みをいれてきますが、なぜ当たり前なのか考えたいんじゃよわしは〜。

兎に角さいきん歌うことがたのしいわ。

つらくかなしいことは幾度と無くやってきますが、

生きることを諦めるのも難しく、

ちょっとずつ傷を修復しながら時間の中を進んでいく。 

敏感になっているひと、鈍らせているひと。

ちょうどイー感じに居れたらいいんですけどね。

そのちょうどイーところに心を連れてってくれるのが、音楽だったりするんじゃないかなって思います。

とりあえず肩の力を抜きましょう。

やさしい世界になりますように。

私は願っていますよ。

ひとかたまりにはなれずとも

やわらかく触れ合えることを。

ダヲコ


すぐに音楽で会えますやうに

御伽の街の話

投稿日:


『御伽の街』ミュージック・ビデオが公開となりました。

小袋成彬さんと作ったこの曲は、

一昨年の冬から制作が始まっておりました。

制作、というか、その時期は小袋さんとよく会って話していた時期で、

リリースの予定が決まってはいなかったので感覚的には遊びに近くて、

とにかくかっこいいやばいの作ったろうよーという感じで作り始めました。

最近何聴いてる?等、格好いいトラックメーカーを教えてもらったり、

互いの音楽の情報交換していく中での制作だったので、とにかく楽しかった。

作っていく中で特に面白かったのは、フロウのプロデュースがあったこと。

ラップにはフロウというものがありますが、

わたしのフロウは誰かにならって生まれたものではない(そもそもこうなりたい!と誰かにならってラップをはじめたわけではなかった)から、

やっていくうちに自然と自分のスタイルが形成されていきました。

でも、「このラッパーのこのバースのフロウでのってみて」というデモンストレーション音源が小袋氏から送られてきた。

いろんな音楽聴く中で様々なフロウがあることは勿論わかっていたけれど、

実際自分でやってみようと試したことがなかったから、凄く勉強にもなり、視野が広がって自分の新たなフロウも開拓できたなぁと。

プロデュースの才覚溢れる小袋氏。

友人として音楽家として、尊敬しますなー!

作っている最中、彼は渡英。

やり取りはネット上で進んでいきましたが、帰国中に一緒にレコーディングできて本当に良かった。

もっとここを意識してみたら格好いいんじゃないか?等の意見交換が沢山できたし、

客観的な意見というものはものづくりにおいて大切だなぁと改めて感じました。

会って音楽について語らっていた時「深夜のレッドマーキーで踊れる曲とか作りたいよねー」と話していたことが印象的で、

この曲もそうなり得るようなダンスチューンなんじゃないでしょうかっ!(くわっ)

『御伽の街』のコンテ↓





イメージ元となったのが、これも小袋さんとの会話の中にヒントが….

歌詞で悩んでた時に“例えば仕事終わりのOLと主人公を仮定してみたらどうだろう”と、アドバイスしてくれたのがきっかけ。

その一言でするりと歌詞を書き進めることがてき、

私の頭の中は“仕事終わりのOLが繰り広げる一夜の物語”になっていった。

そのイメージを膨らませて描いたコンテ。

はじめて描いたものだから、拙いけれど、

それでも携わって下さった皆のおかげで形になった。

私の想像の何倍も素敵な形で。しかも大好きな人達と作り上げることができた。これはとても幸せなこと。

あとはみなさまに届けていきたい。

ご視聴いただきたいっ。

今回モチーフにしたクラブは、

今はあまり世間的に良いイメージではないような話もよく耳にしたりするけど、

私の知っているクラブはとても楽しいところだーーー!!

クラブだけじゃなく、ライブハウスも、フェスも、

大好きな音楽を心と身体で体感できる場所であり、

音楽は最高なんだ!ということを再度教えてくれる場所ですね。

最近は私もクラブに行くことが少なくなってしまいましたが、

好きなラッパーやトラックメーカーが出るイベントは行きたいなぁと思う。

ただ、目玉となる1組だけじゃなく朝まで楽しめるイベントが良いな。

だから私は去年の8月に“チャームポイント”という自主企画でClub asiaオールナイトイベントを催しました。

自分がお客さんだったら朝まで踊っちゃうよね〜〜!という人選で。

やっぱり夜遊びは楽しいし、クラブで聴くのが適してる音楽があるとおもうので、

また企画できたらいいなぁ。

次はもう少し大きな箱がいいですね。

ーーー少し脱線してしまいましたが、

若い時のクラブ体験は彩度がバキバキで(未成年でもデイイベントなら遊べる)音に合わせて踊る=音楽の一部になる気持ちよさを知ると、

またそこに行きたいなぁと思うのです。

とはいえ、踊るのが好きな人も居れば、

踊らなくても楽しい気持ちで聴いている人も居るので、無理して踊らなくても勿論よくて…

只わたしは楽しいからこの気持ちを皆に知ってほしい!とは思っています。ライブでも。

MVは、そんな楽しかったあの時間を思い出すように絵を作っていきました。

そして可視化してくださったのは佐伯雄一郎監督。

佐伯さんとはメジャーデビュー当初からのお付き合いで、何作も共に作品を作り上げてきた仲です。

ダンスミュージックの面での音楽の趣味が凄く合うので、

フジロックで皆で遊んだり、クラブで遊んだり、

公私共に一緒に過ごしてきた時間が長いからこそ

お互いを理解し合って作ることができたMVなんだと思います。 

佐伯さんは出会う前から私の音楽をそもそも聴いてくださっていた方なので、

存在として尊いし、作品に込める愛情も感じ取れるから私もまた一緒に作りたい!!と思うんですね。

好きな人たくさんの現場がたのしいし。

他にも私が描いた衣装を可愛く美しく実現してくださった飯嶋久美子さん(ぽろんちゃん)。

衣装ラフ絵

今回はOL設定だったので、

OL制服の資料を見ながら自分らしさと好きなモチーフの追求…。

ぽろんちゃんが蝶柄の生地を見つけてくだった!これも奇跡🦋

そしてヘアメイクはいつもお世話になっている久慈愛さん。

過ごしてきた時間が一番長い…

15歳位からのお付き合いですが、

がっつり毎回一緒にお仕事できるようになったのは最近なのでまだまだ長い付き合いになりそうだ(嬉)

今回のMV、光の使い方も美しかったと思います。

是非光に注目して観ていただきたいっ。

照明を担当してくださった前島さんの作る光は素晴らしく….

絵は光で本当に印象も変わるし、誰が主役なのかをはっきりさせたり、

重要な役割を担っているお仕事ですね。

語り切れない沢山のスタッフのみなさまのお力添えがあってこその制作でした。

心からありがとう!


ひとまず溢れ出る想いは書き留めたとして、

この曲を提げてまわるツアーが!

もうすぐはじまります∩^ω^∩

\どどん/

DAOKO 東名阪ツアー「二〇二〇 御伽の三都市 tour

詳細▶︎https://daoko.jp/live/803/


皆さまと踊れるのを楽しみにしております!

余談:クラブやライブハウスで音を浴びてる時、その音楽とは関係ない色んな閃きが頭の中に突如浮かんだりするのですが、シャワー浴びてる時にも同じ現象が起こる。調べてみたらドーパミンが出ていてリラックスしている時に閃きが起こりやすいらしい….音のシャワー🚿

おわり


✿✿✿

投稿日:


はろーみなさま、お元気ですか。

いかがお過ごしですか。 

風邪は引かれておりませんか。

わたしはそこそこ元気です。

昨日は都内某所にある美島さんのスタジオで、

久方振りのバンドミーティング。

鍵盤の網守さん、ギターの永井さん、ベースの鈴木さん、ドラムの大井さん、そしてサウンドP兼ライブPの片寄さん。美島さんのスタジオですから勿論美島さんも。

わたしたちはまだ出会って日は浅いけれど、わたしにとってとても大切な方々なんだと、会うとしみじみ思うのでした。

網守さんと出会ってからあと少しで一年。

まだ一年なんだ!と思うような過密度。

ライブのたのしさを 本質を教えてくれたのがバンドメンバーのみんなですよ。

勿論今までのどれもがかけがえのない大切な時間だったけれど、去年生演奏を体感して、わあ、と

脳や心を射抜く光線が走るようなときめきを感じました。

ライブ中はステージというみなさんより少し高いところに立ってはいますが、距離がちかい!物理的な距離ではなく心の近さ。

みんなで一緒に楽しみたいな、というわたしの気持ちと、楽しそうにしてくださるみなさんの この 心地よさは かけがえもなく、

独り占めしてはいけないと思うような尊さなので、しっかりと届けるべく誠心誠意祈りを声にします。

ツアーはもうすぐ。リハも重ねていきます。

バンドメンバー達と過ごす音楽の時間を楽しみに、そして何よりみなさんとの音楽を楽しみにしております。 

昨日の集まりの時にみんなでこないだアップロードしたCinderella stepのLive映像を観ていたのですが、

いや〜〜良い曲だなーー名曲感が半端ない とか、笑いあえたのすごい楽しかったな。真面目な話し合いの合間にしっかりとふざけたり。みんな優しくておちゃめで、カッコよくて、だいすきだー。

明日、専門学校HALさんの未来創造展2020に出演するために前乗りで大阪へ向かっている最中です。

若い方々(わたしは今年23になってしまうけれど含まれているとしよう….)を応援したいなと最近思います。応援といいますか、一緒に頑張りましょうねと思う。

もういいよって思うほど耳にしてきたであろう”若い人が未来を創る”というのは、嘘でなく、知識と経験は栄養として若いうちにどんどん吸収したほうがお得というか…損はしないっ。

わたしもまだまだまだまだまだまだまだまだ未熟者だけれど(目指せポケモンマスター)それでも14から音楽をはじめて、ティーンの内にたくさんの音楽に触れて色んな人に会って話せたことが、やっと今、実になってきた。

時間はかかるとしても、なんでも気が向けられる対象のものはやってみた方がよいと思います。若いと呼ばれる内は。

傷ついても傷の治りがはやいし(細胞の再生もはやいって誰かが言ってた)、強くなっていく(慣れていく)。

ショッキングな出来事があっても、

大抵のことは、「いんや、あの時のが辛かったし….」と思えようになるもので。

その成長が果たして成長と呼べるのか疑問に思いながらも、できることが少しずつ広がっていくよろこびはあります。

何故疑問を抱くかというと、十代ならではの新芽のような柔らかく傷つきやすい感受性はものづくりにおいてとても価値のあるものだと思うからです。

いつだってこどもの眼で世界を見ていたい。

こどもはしらないことがたくさん だから全部が色彩鮮やかで刺激的。

おとなになるにつれ、臆病になっていっているような気がします。

新陳代謝を繰り返すうちに、年輪を増していくようなイメージなのかなあ。

瘡蓋を無理矢理剥がして痛がったりするのが結局好きだったわけで、瘡蓋って言ってるくらいだから死にはせんのですが。

そんな事を考えているとわたしはまだ本当の辛い経験をまだしてないのかもしれない、とおもう。

しなくて済むならしたくないけど、身内や大切な人が死んだり、そういう経験はまだしていないから。

想像しただけで泣けたりもする。

体験したことないことは、やっぱりわからない。

当時14歳だったわたしも、それまでずっと 音楽ではなく絵で生きていこうと思っていた訳で、

でも結果自分を表現して作品にすることが好きだったと気づき、続けていけばいくほど打ちのめされる音楽の底知れぬ楽しさと、とんでもなく素敵な人に次々と出会っていく中で、

自分にしかできないことが見えてきて、でもそれを体現するには時間と努力が必要であり、自由に動かせるまでが大変ですね。

小学生のとき、習字で”努力”と書く授業の日になんかいやだとなんとなく思ってしまい、何故か未だに使うことに若干の抵抗があるのですが

「できる限りの力を使い切りました!!!これで駄目でもわたしはやったったんや、やりました!!!燃え尽きましたワハハ」

と言える程身を費やすことができた日に、自分はただの天邪鬼だったんだなと確信。

そう思えたのが最近のことだったので、一度振り切れてしまえば、謂わば”振り切れ慣れ”をしていくものなのかなと思ってきたところです。どんどん挑戦できるようになってきた。

特に表現に於いては振り切れれば振り切れたものほどカッコイー!と思ってしまう。ただ、それは届け手のことを喜ばせたいという気持ちがちゃんと伝わる方法で表現している方に限るけれど。

よく耳にするホスピタリテイ….

わたしが好きな表現者のみなさまに共通してることだなーと。椎名林檎さん、岡村靖幸さん、平沢進さんなどなど… 其々方向性は勿論違えど、その人にしかできないことが確かに…ある!

わたしもわたしにしかできないことをやるんだ今年は。

最近70年〜80年代の歌謡曲をよく聴いているのですが、歌詞がすーごい良い曲がたくさんある。

その時代にしか書けない歌詞がありますよね。

男女の価値観も違うなと感じるし、でも今と纏う香りは違えど共感する言葉はたくさんあって面白い。

父と山本リンダさんの“狙いうち”を車で聴いてた時に父が「凄まじい高度成長期感」と言うワードを出して、確かにぃ〜と思いました。

時代性を狙って作ってたのかなと想像するけど、

ここまで強い女感を表現しきられると(ご本人も超絶美貌だし)清々しいし、

こんな人も居たんかしらねぇ〜と感心してしまうのでした。

イントロもカッコイー。 

共感できる歌詞の曲は宝物になるけれど、共感できなかったとしてもその表現が素晴らしい場合、色んな人が居ることを知る。人類の多様性っ。十人十色っ。

歌詞って書き手の自分なりの哲学なのではないでしょうか。

わたしはそうです、正しくそう。ふぃろそふぃあー

必ず人それぞれその人だけの哲学がある訳で、わたしはそれを聴きたい。

みんないい人だって思いたい。

世間のニュースをみてるとそんなことないのかなと思い知らされるけど。

それでもどんな人でもうつくしいものが生み出せる可能性を秘めていると信じたい。

音楽や表現が好きなのはそんな理由もあるのかもしれない。絶望がない。

わたしにとって音楽は、いつだって遠くに見える光であるし、目の前を照らす手燭である。

色々書きつらねた。

久しぶりに喋るように….

普段散り散りに浮かぶ思惑が、書いていくと繋がっていくから言語化するのは頭の整理におすすめですね。

ここまで読んでくれた方ありがとう。

平仮名多いのは平仮名がすきだからですっ。

やさしいかんじがするでしょう。まろい感じ。

読みづらかったらごめんなさい。

わたしは普段ふざけるのが好きだけど、公でふざけるものではない が!

たまにふざけたブログを投稿するかも しないかも。

今回のブログは、真面目に書いてたら色々書きたくなって取り留めのないかんじになってしまった。

たまには許してちょんまげ….

Sweet Williamさんと青葉市子さんの「あまねき」にとても心震えた。前作の「からかひ」もずぅと聴いていたけれど、お二人のコラボレイト、周波数きもちよいなあ。日向ぼっこしてるみたいだー。お昼すぎ 窓をあけて 揺れるカーテン 木のつくえ 陽だまり… あったかい曲!みなさんもぜひ マイナスいおーん(^ ^)

さようなら、また会いましょう。すぐ!

一月三日

投稿日:


眠れない夜 やけに静かな夜

過去で形成されてるということをふと思い出し

漂う糸を手繰り寄せて 再び出会う 

久しぶり また会えたねと 抱きしめる

深い紺色の森の中

星の瞬きは

美しい朝を連れてきた

引力 又は 運命の導きか

音も立てず 密やかに 

優しくぶつかって弾けた

光の飛沫が ぱちぱちとまぶたの裏に散って

ちいさな粒は身体中を駆け巡って熱かった

自分を囲むススキが金色に靡いて 

山のおくでオレンジに燃える空

空はいつもより高くて 私はちっぽけだった

胸の真ん中から止め処なく煌めきは溢れ田んぼに流れていった

抱えきれないほど有り余る火照る想いを 

垂れ流しながら ただただ空を仰いでいた

確かに 祈りが届いた朝があった

今でもあの朝の色は離れていかない

縁 円 ⚪︎ まあるくあれ 

ひたすらに 祈り 願う 

イメージする おおきな輪

そう 牛乳みたいなひと

⚪︎

保身はし続けるべきなのだろうか

強くなれるなら強くなるべき?

辛すぎることを拒むのは反射

心が壊れかけたことがある人は

そうならないように 回避しようとする

嘘を吐かずに生きていくことはできるだろうか

きれいごとだけの世界は気持ち悪いかな

優しさに徹するのは 結局保身でしかないのだ

誰かに裏切られたり 傷つけられることがあっても

清らかでいることが正義の盾となると思ってしまう

神様のようなひとはいないし 

神様だってなんでもゆるせるわけではないとおもう

楽しいことの次には悲しいことが起こる 

この連鎖は死ぬまで続くのだろうか 

ここから抜け出せないのかな

闇があるから光があるというのは真実で理で

でもわたしは光だけの世界に行ってみたい 

行けるなら そこに住みたい みんなで

嘘はきらいだ 振りかざすエゴも 

あなたの持つ全ての想像力で 痛みを感じようとして

一番柔らかい部分で触れ合えたらいいね

わたしは知りたい わたし以外のひとの感覚を

わたしは伝えたい わたしのみえてるもの 感じていること ありのままに このままに

もしそれがかなったら 誰も傷つけ合わずに済むのにね