こんばんちー、ダヲコです。
胸が騒つくニュースが行き交うなか、
わたしは日々レコーディングやリハーサルなどをしておりました(この日記は2月から書き始めていた文章を整えたものなのでちょっと変なとこあるやも)
ビルボード東阪&大森靖子さん対バンを予定していた3月のライブはコロナウイルスの影響で、無くなってしまいました。
たのしみにしてくださってた皆さま、ごめんなさい。
私もとってもたのしみにしていたので、本来踊るはずだった胸も踊らず、しばらくしゅんとしておりました。
しゅんとしててもただ布団に沈み込むだけで、綺麗な夢も見れないし。
落胆するのは非常に飽きる。
世界が灰色のフィルターがかかったように見えるのは、
マスクで表情がよくわからないからでしょうか。
毎日そこらじゅう蔓延る病魔のせいでしょうか。
なんだかおかしいよねえ。
私の知らない世界に、今まさに私は居る。
ただひたすらに美しいものがみたい。
無性に欲しているから表現するしかない。
音楽で人は感動することができる。
扱う言葉に心を込めたい。
皆さんお家で何しておられますか?
外に出たくてもこわくて出られない人たちも
たくさんいらっしゃると思います。
音楽はいいですよ。
色があって匂いがあって。
たまにはお家でゆっくり音に耳を傾けたら、
今まで聴こえていなかった音たちに出会えるかも。
丁寧に聴くとき、何度繰り返し聴いた曲でもあたらしい発見がありますよ。
大阪・東京ビルボードでのライブは、
ピアノに網守将平さん、ギターには永井聖一さん。
そしてチェロに四家卯大さんを迎えたアコースティック編成での公演を想定しておりました。
以下はリハーサル期間中に書き留めていた文章です。
思い返せば、チェロの音を間近&生で聴いたことがありませんでした。なんと。
実際演奏を共にすると普段体感したことのない心地の良い音が鳴っていて、身体の軸に、心に響きわたる〜。
繊細なのに芯が太くて、胸がぎゅーんとなります。
曠然たる大地のやう。
ビルボードは網守氏、グランドピアノの予定だったんですよ…ライブでグランドピアノを使って歌うの初めてだったからたのしみしてたんけど。
リハーサルで練習したとき、歌いやすくてびっくりしましたよー。
生の楽器にしか出せない艶・色・温度がありますよねえ。
それに合わせた声もまた、いつもとは違う色がでるので面白い。
世界を彩る、父なる空のやう。
ギターの永井さんは、優しい音からカッコイー音まで魔法のように奏でてくれる。
でもどんな音もキラキラしてて、パチパチしてる。
楽器が身体の一部のやうだから人柄もでちゃうってわけかー!
草原に咲く花々、宙に踊る蝶の如しー。
そうそう。
練習中、御三方の姿を見ていて、楽器が身体の一部となっているように感じたんですよ。
勿論プロなのだから!そらそうか!と思いながらも、神経が通っていないはずのものに神経が通っているような感覚を覚えるって凄いことだなあと。
錯覚ではないように感じる。
偶々仕事でご一緒する古くからの友人でもあるヨーヨーのパフォーマンスで世界一をとったことがある方に「バンドメンバーの楽器がそれぞれの身体の一部にみえたんですよねえ〜」と話したら、
「確かにその頃はヨーヨーに神経が通っている感覚だったなー」と仰っていたので、極めし者たちは皆そうなんだなぁーと感心しました。
ボールはともだち こわくないよ….てきなねー。
私の楽器は声であり、そもそも私の身体の一部であるものだからなあ。
それでも声が楽器みたいだと思えるようになったのは最近のことです。
具合が悪かったら調整ができるものだし(ボイスケア+声帯のストレッチなどがある)向き合えば仲良くなれるし、
そもそも付属されてるかどうかってそんな関係のない話なのかもしれません。
当たり前なのかな。
考え事の最中「当たり前じゃんね」とよく心の声が突っ込みをいれてきますが、なぜ当たり前なのか考えたいんじゃよわしは〜。
兎に角さいきん歌うことがたのしいわ。
つらくかなしいことは幾度と無くやってきますが、
生きることを諦めるのも難しく、
ちょっとずつ傷を修復しながら時間の中を進んでいく。
敏感になっているひと、鈍らせているひと。
ちょうどイー感じに居れたらいいんですけどね。
そのちょうどイーところに心を連れてってくれるのが、音楽だったりするんじゃないかなって思います。
とりあえず肩の力を抜きましょう。
やさしい世界になりますように。
私は願っていますよ。
ひとかたまりにはなれずとも
やわらかく触れ合えることを。
ダヲコ