むすひむすび

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遂に今週土曜日から、あたためてきた展示がスタートします。

「Daoko むすひむすび展」
日時:会場①2021年9月11日(土)17:00OPEN~20:00
     2021年9月12日(日)~9月22日(水) 10:00〜20:00
     最終日2021年9月23日(木・祝)10:00〜19:00
   会場② 2021年9月17日(金)〜9月22日(水)12:00〜20:00
場所:
会場①渋谷フクラス1階 shibuya-san
    東京都渋谷区道玄坂1-2-3 渋谷フクラス1F
会場②UNKNOWN HARAJUKU
    東京都渋谷区神宮前6丁目5−番10 号
入場料:無料

※詳しくは下記WEBサイトからご確認ください。
WEB:www.latijapo.com

古事記からはじまった作品作り。
常日頃からお仕事やプライベートでも仲良くして頂いている飯嶋久美子さんが共感してくださって、
フォトグラファーの宮原夢画さん、土本真希さんと共に練り上げてきた今回の展示“むすひむすび展”
「むす(産)」は「うむす(産むす)」の「う」が取れたものとされ、
自然に発生するといった意味があるそうです。
“むすひ”というのは天地・万物を生成・発展・完成させる霊的な働きのことで、
万物は「むすひ」の働きによって生じ、発展すると考えられています。
私なりの捉え方としましては、クリエイティブと同義なのではないかと。
“むすひ”を“むすぶ”。皆で作った作品と想いを繋いでいく…そんな展示になりますようにと名付けました。

私は元々、哲学と生物学に興味関心がありました。
文献を読んで、クリエイティブの素にしたり、生きやすい考え方を学んでいくことが好きでした。
古事記と出会ったきっかけは、遠藤周作さんの小説『沈黙』を原作とした“沈黙”という映画です。
長崎は五島列島でのキリシタンの弾圧のお話だったのですが、
観終わって浮かんだ疑問が“なぜ神様と呼ばれるひとは男性なのだろう?”というものでした。
誤解を招きそうなので書き足しますが、宗教に対しての差別感情などは一切皆無です。
聖書を読んで曲を作ったこともありますし(七日間創造)、ニルバーナという曲も作ったことがあります。
勉強不足で理解しきれてはいないと思いますが、夫々の宗教に素敵なところがあることも、私なりに解釈しています。
単純な疑問でした。私が生物上女であるということも関係しているとは思いますが、ふと思ったのです。
それから色々調べていたら、天照大御神という太陽の神様が女性である記述を読み、感動し、八百万の神という考え方に共感しました。
スタジオジブリ作品の“もののけ姫”等を連想しました。
実際に自分が生きてきた中で心にずっと残り続けている風景も、稲穂の中で見た朝陽であったり、大きな鳥の形をした雲が浮かぶ夕景であったり…
とても感動した自然の風景に対してあの瞬間に“カミ”が居たのではないかと思うのは、
昔の人も同じ気持ちになってきたのではないかと考えられて、それを私はロマンチックに感じるのです。
古事記や日本の民俗学にハマる前のお話ですが、
私は、生物学者のリチャード・ドーキンスの本が好きで、最初は『利己的な遺伝子』という本の情報遺伝子”ミーム”の記述に大変共感しました。4thAlbumの“anima”では核となるテーマでもありました。
『進化とは何か』という本の中に“デザイノイド”という言葉が出てきて、
その内容はリチャード・ドーキンスが唱えた概念で「デザインされたわけではないが、あたかもデザインされたかのように見えるもの」を指しています。
この記述を読んだ当時20歳、私は渋谷を中心に生活しており、目まぐるしい環境に少し疲れて、自然豊かな場所へ旅することが癒やしでした。
そこで出会う稲穂や木々や、花々、虫達は、デザイノイドなんだと知って、「デザインされている自分より、デザイノイドとして生きたいな」と思いました。
個人事務所に独立して名前を“てふてふ”としたのもデザイノイドとしての意識があったからだと思います。
少し話が飛びましたが、この“デザイノイド”と日本の古事記の内容は通ずるところがあると思います。
古事記だけではなく、八百万の神という考え方にも。
此間、友人と古事記について話していた時「日本は昔から四季があって自然も豊かだから八百万の神のような考え方が生まれたんじゃないか」というような話をしていて、啓発を受けました。
環境に根付いた、とても自然なクリエイティブで、いいなあと思ったのです。
古事記は、最初の方のお話はかなり突拍子もなくてコミカルな部分も多く、そもそも擬人化ですし、その感じが日本のオタクカルチャーとも通づるところがあり、面白いです。
日本人は昔からこういう性質だったんだなと知れる(勝手に思う)ことが、私にとっては発見でありトキメキです。
スピリチュアルという言葉自体が、謂わば“メンヘラ”のような言葉の形骸化をしているんだなと感じます。
ちょっと胡散臭いというか…その感覚は現代の情報を見て生活していると勿論在るのですが、
然し日本の民俗学や歴史的に見ると、科学が進歩する前の時代は占いで物事が決められていたし、
自然の中で生きていたなら誰しもがそうだったと考えれば、自然なことなのかなとも思います。
時代が変わっているので、占いで政治を決めたりしては破綻してしまうと思いますが。
周りの環境に目を凝らして想像してきた証拠なのでしょうか。
風の音や温度、月の満ち欠けなど、実際に感じ取れることから未来を予測してきたのでしょうね、
携帯やPCに張り付いて外の状況がわからなくなりがちな現代にも在ってもいいことのような気もします。
私には実体しか見えないけれど、悲しいことや嬉しいことがあったときには、目に見えないものである魂の存在は感じます。「心が痛い」とか「胸におおきな穴が空いて風が吹き抜けた」とか、実際の感覚です。
音だって目に見えないものなので、目に見えないものの探求が好きということなのかもしれません。
どの分野に対しても俯瞰で感じとるのが好きなので、ロマンティックに浸るのが目的なのやもしれません。
話が散漫としてきてしまいましたが、古事記をテーマとしたのはこの様な経緯があったからです。
作品は皆で作ったものなので、夫々の意図や想いも練り込まれ思い入れの深いものたちとなりました。
是非観に来て頂けたら…と思いますがご時世柄もありますから、ご無理なさらずに。
感染症対策は会場とスタッフ共に万全で居ります。お待ちはしております…|ω・`)
皆さん気をつけてお過ごしくださいね。

イメージキャラクターのむすひちゃん お蚕さまモチーフ