三月四日

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三月四日に、二十二歳となりました。
いやあ、二十二かぁ!
十五歳でインディーズデビューしたので、七年目になるんですね。
目に映る彩度はあの時のまま、ゆるせることが増えてきたように感じます。目が冴えてくるというか…。
条件反射の自己防衛とかではなく、
其々がもっている尊厳を自然と認められるようになってきた感じです。
自分の大切なもの・大切にすべきものが絞られていきますね。 取捨選択。
わかったような気になりすぎているんだろうなと、こわくなったりもしますが、大体のことはゆるせるような心持ちになっています。
同時に、大切なものは絶対に守るんだ、自分の中で丁寧に育てていこうという強い意志も備わってきたり。
ゆるせることが増えるということは、とてもたのしい。みるみるうちに世界が変わっていく。
自分のみたいように世界をみれるようになっていっている。
アレもコレもゆるせない!無理!何もかも敵だ破壊だ!という思想は、それはそれで私もわかる(`・ω・´)という感じだし、そういう心向きでしか創り出せないものがありますよね。ティーンのときは、よくそういう風になりがちでしんどかったけど(年に数回は今もそういう気持ちになったりする)、だからこそ沢山詩が書けたし、曲が生まれたんだと思っています。
沢山の人や物と出会って、経験が増えて、”気づき”が増えると、身も心も新陳代謝を繰り返して思想も外見も変わっていきますね。ポケモンの進化みたいな感じですかね。使える技も増えるし….。
でも感受のアンテナは幼い頃から同じで、その受信したものを取り込む心のタンクみたいなものが、柔らかくて破れにくいものになったり、傷ついても修復できるような機能がついたり、どんどん変化していくのでしょうね。アンテナを曇らせると、反射的に生きることになるような気がして。美しいものも汚らわしいものも、すべて見て感じなければと思います。感じた上でどうするかはその時の自分の心向き次第ですが。気の向くまま、思うがままに、でも丁寧に生きたいなーとおもってます。私と共に変わっていく作品たちを、これからもどうかよろしくお願いいたします。どれも本当の私です。
二十一は”気づき”の年でしたね。二十二は”気づき”を経て、”開き”の年にしたいです。
花が開き、戸が開き。閉じていたものを開く年。開催すること。
はじまりの予感、わくわくしすぎないようにっ。
調子に乗ると、ズッコケるんですよね。恐らく。
このひらけていく感覚を忘れないように、しるしていきたいとおもいます。眼下に広がる新芽たち。
もうすぐ春ですね、ちょっと気取ってみませんか。