おたより

投稿日:

春分の日と共に、おおきくてまんまるな月と共に、びゅうびゅうと吹くあたたかい風と共に、春がきましたね。目黒から中目黒まで目黒川沿いをてくてくお散歩していると、今か今かと開花を待ちわびている桜が並んでいました。はちきれて静かに咲いている花弁がかわいらしかった。春は花も草木もいきいきとしていていいですね。活力をかんじたり、華々しさにすこしたじろいでしまったり。でもやっぱり前向きな気持ちになったり、何かはじまる予感は春色と共に。 皆さんの春があかるくあたたかな思い出になりますように。

夜の帳の中、おおきな満月を見つめていると、そこだけ光が差し込んでいて、向こう側に明るい世界が広がっているようにおもう。月の窓。あちら側にいつか行ってみたいな。(シュガシュガルーンも月が魔法界との繋ぎ目でしたね)

余談: さいきん異なる職業の方とお話する機会が多くて、どの方のお話も新鮮でとてもおもしろい。みんなのこと尊敬してしまいますね、もうなんだか其々生きてるだけですごい!みたいな気持ちになる。どんな人でも何かに一生懸命向き合っているひとは格好良いなあとおもいます。突き抜ければその人の領域になるというか。わたしにはできないというようなことが多すぎるんでしょうね。いや、やってみたら何でもできるのかもしれないけれど…そんなにたくさんのことはできないなあと思ったり、それは逃げでもあったり… 社会に出て定時に出勤して満員電車に乗ったり上下関係に打ちのめされたり 私が触れてこなかった辛さをみなさん体験してるのかと思うと心から尊敬します。私もここ数年でたくさん学ぶことはありましたが、想像の範疇を超えるものばかりですね。だからこそ重なり合って生きていけるのかしら。その人の気持ちを想像してみることが思いやりですものね。自分とは全然違う感情の働き方をする人と会うと、自分という人間を俯瞰して考察できるのが楽しい。例えば、喧嘩すると仲が深まるというような考え方をしている方がいました。それは、本気でお互い向き合っているってことなんだろうなあ。私は基本的に誰とも喧嘩したくなくて、怒りって感情の矛先が自分に向いてかなしみに変わったりしてしまう。それはそれで生きづらさを感じるし、結局自分にダメージがいってしまうので漏電だなあと思うんですよね。(親には娘としてワガママ言ったり駄々こねたりしてしまう) 私の人との関わり方って、真剣に相手と向き合う気がそもそもなくて自己防衛的な優しさで、優しさというものを履き違えてるのかなあ、とか。気づきがありますねえー。不確かなことだけが確かな日々ですね。 そうやって人に会ってる時は自分が何となくわかったような気になれるのに、一人家で過ごしていると自分が誰なのかわからなくなることが多々あります。そんな時にこうやって文章で整理したり絵を描いたり歌詞を書いたりすると安心するんですよね。存在意義を確かめる行為でもある表現が生業だなんて、ラッキーだなあとさいきんおもいます。自分を救えない音楽で誰が救えるのだろう。はやく皆さんに歌を聴いてほしいなあ。春のお便り、すこしおまちくださいね。

写真:馬場真海