皆さんどうも、お元気ですか。

粛々と、静かな日々を過ごしております。

花に水をやり、今日のご飯は何にしようかと考え、読みかけの本たちをパラパラ読み、気が向いたら絵を描き、歌を歌い、このさきを見つめる。

頭の中の声は変わらず多弁で、

悩みの種は雨のように降り続け、

そのどれもがこどものもつような“?”なのだろう。

「見えている赤色はみんなが見えている赤色なのだろうか?」

「音楽を可視化するなら、ギターはエッジの効いたトゲトゲで肩の辺りを浮遊していて、ベースは脊髄のあたりからじんわり響く感じ、ドラムは骨盤の…」

など、頭の中では取り留めのない話題で常に会議が行われている。

ほとほと疲れてしまう時があり、

そういう時は部屋を真っ暗にして、静寂の中ベッドに逃げ込む。

小さい頃みた心霊番組のおかげでオカルトの類が全方位苦手になったのだが、

一度暗闇ととけこむような感覚を覚えると、本質的にはこわくなくなった(ような気がする)

とはいえ、ホラー映画を観たりはできないけれども。

ひたすらに睡眠に徹していても、都合よく熟睡できるわけではなく度々起きる、感覚的に回復し切れてないのを確認し、また夢の中へ。

その合間に七色に光る閃光をリビングを隔てる戸の隙間に見たり、

誰かの低い声が右側から聴こえたように思えても、

不思議とこわくない。

オカルト的現象のそのすべてが幻聴・幻覚であるかもしれないが、其れらをまやかしだと証明できる術もない。

結局一番こわいのは人間だーとも思うし(人間同士でしか傷つけ合えないから)

生霊・言霊の存在も否定できない。

私は霊感も無いし、実際にお化けを見たことがない。

でも人生の中では、心から感動し、一生忘れないであろう景色・瞬間がある。

それは涙を流すほど美しく、生きててよかったと強く思えるような場面。

その瞬間、その場所にはかみさまが居たのではないか、と最近思う。

と言うよりか、この感覚が“かみさま”として語り継がれているのだろうな、と感じた。

そしてそんなことを考えていたときに偶々読んだユングの本にも同じような事が書いてあり、他にも同じように思った人が居たんだと感動した。

私が哲学や心理学や生物学の本を読み漁るのが好きなのは、

頭の中で次々と浮かぶ“?”を処理するためである。

自分なりの思惑を、誰かと共有(共感)したいのだ。

共感するために本を読んでいるともいえる。

17歳の時、初めてニーチェのニヒリズム(特に強さのニヒリズム)を知ったとき、心震えた。

まさしく!私も同じことを感じていたんだと。

共感したことで、私だけじゃないんだと言う安心感が生まれたし、

生きるとはなんぞや?と深く考えてる人が沢山いると言うことを知って希望が持てた。

生きることは辛いことだ、でも生きるしかない。

皆が辛いと知ることで、わたしも皆と同じ人間なんだと思えた。

それでも、その本に書いてある100%共感できるわけでは無く、一冊に対して10%でも共感できたら嬉しいものである(歌詞に対しても同じような事が起こる)

私の頭の中の“?”は、きっと誰かの脳内で似たような形で生まれてきたものなんだ。

まったく同じじゃなくて、限りなく近い形で。

“?”と向き合う事で、生きる意味を見出している。

そして創作が生まれる。

まったく生きづらい、みんなこんなに生きづらいの?とまた“?”は生まれる。

そして消える事はないだろう。

再び本を読み、人間同士触れ合う。

誰かの感覚になれたらいいのに。

そしたらやさしい世界に近づくのに。

酷い言葉も無くなって、犯罪も無くなるんじゃないか。

でもそれは不可能だ。

わかっているけれど、私は他人の感覚になってみたい。

想像する。でも正解かはその人自身にしかわからない。

「どうしてそのような言葉をお発しに?」と、

確認できる相手とできない相手が居るし、

出来る関係性であっても一々そんな事を聴いてくる輩は鬱陶しくて堪らないだろう。

「自分で考えて!」と投げ出したくなるのも解る。

つい、うっかりハテナをぶつけてしまうが、なるべく、なるべく口を紡ぐようにする。

そして文献に頼る…。

私は普段鈍感らしく、変なところだけ神経質で、抜けているところは滅法脱けている。

確かに、言われてみるまで気づかなかった…と言う癖が23歳にもなって次々発覚する。

A型だと思って生きてきたが、去年の元旦献血をした際にO型だと知る(今までの血液型占い、一体だれの運勢で一喜一憂していたのか…)

なんでも本に頼るのは自分の考える力を弱らせてしまうのではないだろうかとも思うのだが、甘んじて手を伸ばしてしまう。

本や他人の知恵に頼らず器用で柔軟に生きる人に憧れる。

その人なりにうんと頭を使って、見出してきた答え。

一人一人全く違う思想を持っている、その人にとって一番しっくりくる答えが、その人の答えだ。

環境の違いと言い出したら全ては環境の違いでお終いになるので、

できるだけ努力して、まともな人間に近づいていきたい。

〜まともがわからない♪

一人一人が別人格で、家族であろうと別個体な訳で、

ばらばらなのだけれども、人間はやわらかい。

やわらかいのでみんな微調整して生きていく事ができる、と思っている。

その中でも、かたくてとげとげした同士は似たような形をした人達が集まる場所がきっとあるだろうし、

やわらかくなれる方法はたくさんあるかもしれない。

夜風が気持ちいい季節ですね。

荒ぶる風音は少し心がざわつきますね。

雨雲は流れ、晴れるでしょうか。

おやすみなさい。

メモ: 音楽は記憶のトリガーになったりもする。