グランドピアノ

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こんばんちー、ダヲコです。

胸が騒つくニュースが行き交うなか、

わたしは日々レコーディングやリハーサルなどをしておりました(この日記は2月から書き始めていた文章を整えたものなのでちょっと変なとこあるやも)

ビルボード東阪&大森靖子さん対バンを予定していた3月のライブはコロナウイルスの影響で、無くなってしまいました。

たのしみにしてくださってた皆さま、ごめんなさい。

私もとってもたのしみにしていたので、本来踊るはずだった胸も踊らず、しばらくしゅんとしておりました。

しゅんとしててもただ布団に沈み込むだけで、綺麗な夢も見れないし。

落胆するのは非常に飽きる。

世界が灰色のフィルターがかかったように見えるのは、

マスクで表情がよくわからないからでしょうか。

毎日そこらじゅう蔓延る病魔のせいでしょうか。

なんだかおかしいよねえ。

私の知らない世界に、今まさに私は居る。

ただひたすらに美しいものがみたい。

無性に欲しているから表現するしかない。

音楽で人は感動することができる。

扱う言葉に心を込めたい。

皆さんお家で何しておられますか?

外に出たくてもこわくて出られない人たちも

たくさんいらっしゃると思います。

音楽はいいですよ。

色があって匂いがあって。

たまにはお家でゆっくり音に耳を傾けたら、

今まで聴こえていなかった音たちに出会えるかも。

丁寧に聴くとき、何度繰り返し聴いた曲でもあたらしい発見がありますよ。

大阪・東京ビルボードでのライブは、

ピアノに網守将平さん、ギターには永井聖一さん。

そしてチェロに四家卯大さんを迎えたアコースティック編成での公演を想定しておりました。

以下はリハーサル期間中に書き留めていた文章です。

思い返せば、チェロの音を間近&生で聴いたことがありませんでした。なんと。

実際演奏を共にすると普段体感したことのない心地の良い音が鳴っていて、身体の軸に、心に響きわたる〜。

繊細なのに芯が太くて、胸がぎゅーんとなります。

曠然たる大地のやう。

ビルボードは網守氏、グランドピアノの予定だったんですよ…ライブでグランドピアノを使って歌うの初めてだったからたのしみしてたんけど。

リハーサルで練習したとき、歌いやすくてびっくりしましたよー。

生の楽器にしか出せない艶・色・温度がありますよねえ。

それに合わせた声もまた、いつもとは違う色がでるので面白い。

世界を彩る、父なる空のやう。

ギターの永井さんは、優しい音からカッコイー音まで魔法のように奏でてくれる。

でもどんな音もキラキラしてて、パチパチしてる。

楽器が身体の一部のやうだから人柄もでちゃうってわけかー!

草原に咲く花々、宙に踊る蝶の如しー。

そうそう。

練習中、御三方の姿を見ていて、楽器が身体の一部となっているように感じたんですよ。

勿論プロなのだから!そらそうか!と思いながらも、神経が通っていないはずのものに神経が通っているような感覚を覚えるって凄いことだなあと。

錯覚ではないように感じる。

偶々仕事でご一緒する古くからの友人でもあるヨーヨーのパフォーマンスで世界一をとったことがある方に「バンドメンバーの楽器がそれぞれの身体の一部にみえたんですよねえ〜」と話したら、

「確かにその頃はヨーヨーに神経が通っている感覚だったなー」と仰っていたので、極めし者たちは皆そうなんだなぁーと感心しました。

ボールはともだち こわくないよ….てきなねー。

私の楽器は声であり、そもそも私の身体の一部であるものだからなあ。

それでも声が楽器みたいだと思えるようになったのは最近のことです。

具合が悪かったら調整ができるものだし(ボイスケア+声帯のストレッチなどがある)向き合えば仲良くなれるし、

そもそも付属されてるかどうかってそんな関係のない話なのかもしれません。

当たり前なのかな。

考え事の最中「当たり前じゃんね」とよく心の声が突っ込みをいれてきますが、なぜ当たり前なのか考えたいんじゃよわしは〜。

兎に角さいきん歌うことがたのしいわ。

つらくかなしいことは幾度と無くやってきますが、

生きることを諦めるのも難しく、

ちょっとずつ傷を修復しながら時間の中を進んでいく。 

敏感になっているひと、鈍らせているひと。

ちょうどイー感じに居れたらいいんですけどね。

そのちょうどイーところに心を連れてってくれるのが、音楽だったりするんじゃないかなって思います。

とりあえず肩の力を抜きましょう。

やさしい世界になりますように。

私は願っていますよ。

ひとかたまりにはなれずとも

やわらかく触れ合えることを。

ダヲコ


すぐに音楽で会えますやうに

御伽の街の話

投稿日:


『御伽の街』ミュージック・ビデオが公開となりました。

小袋成彬さんと作ったこの曲は、

一昨年の冬から制作が始まっておりました。

制作、というか、その時期は小袋さんとよく会って話していた時期で、

リリースの予定が決まってはいなかったので感覚的には遊びに近くて、

とにかくかっこいいやばいの作ったろうよーという感じで作り始めました。

最近何聴いてる?等、格好いいトラックメーカーを教えてもらったり、

互いの音楽の情報交換していく中での制作だったので、とにかく楽しかった。

作っていく中で特に面白かったのは、フロウのプロデュースがあったこと。

ラップにはフロウというものがありますが、

わたしのフロウは誰かにならって生まれたものではない(そもそもこうなりたい!と誰かにならってラップをはじめたわけではなかった)から、

やっていくうちに自然と自分のスタイルが形成されていきました。

でも、「このラッパーのこのバースのフロウでのってみて」というデモンストレーション音源が小袋氏から送られてきた。

いろんな音楽聴く中で様々なフロウがあることは勿論わかっていたけれど、

実際自分でやってみようと試したことがなかったから、凄く勉強にもなり、視野が広がって自分の新たなフロウも開拓できたなぁと。

プロデュースの才覚溢れる小袋氏。

友人として音楽家として、尊敬しますなー!

作っている最中、彼は渡英。

やり取りはネット上で進んでいきましたが、帰国中に一緒にレコーディングできて本当に良かった。

もっとここを意識してみたら格好いいんじゃないか?等の意見交換が沢山できたし、

客観的な意見というものはものづくりにおいて大切だなぁと改めて感じました。

会って音楽について語らっていた時「深夜のレッドマーキーで踊れる曲とか作りたいよねー」と話していたことが印象的で、

この曲もそうなり得るようなダンスチューンなんじゃないでしょうかっ!(くわっ)

『御伽の街』のコンテ↓





イメージ元となったのが、これも小袋さんとの会話の中にヒントが….

歌詞で悩んでた時に“例えば仕事終わりのOLと主人公を仮定してみたらどうだろう”と、アドバイスしてくれたのがきっかけ。

その一言でするりと歌詞を書き進めることがてき、

私の頭の中は“仕事終わりのOLが繰り広げる一夜の物語”になっていった。

そのイメージを膨らませて描いたコンテ。

はじめて描いたものだから、拙いけれど、

それでも携わって下さった皆のおかげで形になった。

私の想像の何倍も素敵な形で。しかも大好きな人達と作り上げることができた。これはとても幸せなこと。

あとはみなさまに届けていきたい。

ご視聴いただきたいっ。

今回モチーフにしたクラブは、

今はあまり世間的に良いイメージではないような話もよく耳にしたりするけど、

私の知っているクラブはとても楽しいところだーーー!!

クラブだけじゃなく、ライブハウスも、フェスも、

大好きな音楽を心と身体で体感できる場所であり、

音楽は最高なんだ!ということを再度教えてくれる場所ですね。

最近は私もクラブに行くことが少なくなってしまいましたが、

好きなラッパーやトラックメーカーが出るイベントは行きたいなぁと思う。

ただ、目玉となる1組だけじゃなく朝まで楽しめるイベントが良いな。

だから私は去年の8月に“チャームポイント”という自主企画でClub asiaオールナイトイベントを催しました。

自分がお客さんだったら朝まで踊っちゃうよね〜〜!という人選で。

やっぱり夜遊びは楽しいし、クラブで聴くのが適してる音楽があるとおもうので、

また企画できたらいいなぁ。

次はもう少し大きな箱がいいですね。

ーーー少し脱線してしまいましたが、

若い時のクラブ体験は彩度がバキバキで(未成年でもデイイベントなら遊べる)音に合わせて踊る=音楽の一部になる気持ちよさを知ると、

またそこに行きたいなぁと思うのです。

とはいえ、踊るのが好きな人も居れば、

踊らなくても楽しい気持ちで聴いている人も居るので、無理して踊らなくても勿論よくて…

只わたしは楽しいからこの気持ちを皆に知ってほしい!とは思っています。ライブでも。

MVは、そんな楽しかったあの時間を思い出すように絵を作っていきました。

そして可視化してくださったのは佐伯雄一郎監督。

佐伯さんとはメジャーデビュー当初からのお付き合いで、何作も共に作品を作り上げてきた仲です。

ダンスミュージックの面での音楽の趣味が凄く合うので、

フジロックで皆で遊んだり、クラブで遊んだり、

公私共に一緒に過ごしてきた時間が長いからこそ

お互いを理解し合って作ることができたMVなんだと思います。 

佐伯さんは出会う前から私の音楽をそもそも聴いてくださっていた方なので、

存在として尊いし、作品に込める愛情も感じ取れるから私もまた一緒に作りたい!!と思うんですね。

好きな人たくさんの現場がたのしいし。

他にも私が描いた衣装を可愛く美しく実現してくださった飯嶋久美子さん(ぽろんちゃん)。

衣装ラフ絵

今回はOL設定だったので、

OL制服の資料を見ながら自分らしさと好きなモチーフの追求…。

ぽろんちゃんが蝶柄の生地を見つけてくだった!これも奇跡🦋

そしてヘアメイクはいつもお世話になっている久慈愛さん。

過ごしてきた時間が一番長い…

15歳位からのお付き合いですが、

がっつり毎回一緒にお仕事できるようになったのは最近なのでまだまだ長い付き合いになりそうだ(嬉)

今回のMV、光の使い方も美しかったと思います。

是非光に注目して観ていただきたいっ。

照明を担当してくださった前島さんの作る光は素晴らしく….

絵は光で本当に印象も変わるし、誰が主役なのかをはっきりさせたり、

重要な役割を担っているお仕事ですね。

語り切れない沢山のスタッフのみなさまのお力添えがあってこその制作でした。

心からありがとう!


ひとまず溢れ出る想いは書き留めたとして、

この曲を提げてまわるツアーが!

もうすぐはじまります∩^ω^∩

\どどん/

DAOKO 東名阪ツアー「二〇二〇 御伽の三都市 tour

詳細▶︎https://daoko.jp/live/803/


皆さまと踊れるのを楽しみにしております!

余談:クラブやライブハウスで音を浴びてる時、その音楽とは関係ない色んな閃きが頭の中に突如浮かんだりするのですが、シャワー浴びてる時にも同じ現象が起こる。調べてみたらドーパミンが出ていてリラックスしている時に閃きが起こりやすいらしい….音のシャワー🚿

おわり


✿✿✿

投稿日:


はろーみなさま、お元気ですか。

いかがお過ごしですか。 

風邪は引かれておりませんか。

わたしはそこそこ元気です。

昨日は都内某所にある美島さんのスタジオで、

久方振りのバンドミーティング。

鍵盤の網守さん、ギターの永井さん、ベースの鈴木さん、ドラムの大井さん、そしてサウンドP兼ライブPの片寄さん。美島さんのスタジオですから勿論美島さんも。

わたしたちはまだ出会って日は浅いけれど、わたしにとってとても大切な方々なんだと、会うとしみじみ思うのでした。

網守さんと出会ってからあと少しで一年。

まだ一年なんだ!と思うような過密度。

ライブのたのしさを 本質を教えてくれたのがバンドメンバーのみんなですよ。

勿論今までのどれもがかけがえのない大切な時間だったけれど、去年生演奏を体感して、わあ、と

脳や心を射抜く光線が走るようなときめきを感じました。

ライブ中はステージというみなさんより少し高いところに立ってはいますが、距離がちかい!物理的な距離ではなく心の近さ。

みんなで一緒に楽しみたいな、というわたしの気持ちと、楽しそうにしてくださるみなさんの この 心地よさは かけがえもなく、

独り占めしてはいけないと思うような尊さなので、しっかりと届けるべく誠心誠意祈りを声にします。

ツアーはもうすぐ。リハも重ねていきます。

バンドメンバー達と過ごす音楽の時間を楽しみに、そして何よりみなさんとの音楽を楽しみにしております。 

昨日の集まりの時にみんなでこないだアップロードしたCinderella stepのLive映像を観ていたのですが、

いや〜〜良い曲だなーー名曲感が半端ない とか、笑いあえたのすごい楽しかったな。真面目な話し合いの合間にしっかりとふざけたり。みんな優しくておちゃめで、カッコよくて、だいすきだー。

明日、専門学校HALさんの未来創造展2020に出演するために前乗りで大阪へ向かっている最中です。

若い方々(わたしは今年23になってしまうけれど含まれているとしよう….)を応援したいなと最近思います。応援といいますか、一緒に頑張りましょうねと思う。

もういいよって思うほど耳にしてきたであろう”若い人が未来を創る”というのは、嘘でなく、知識と経験は栄養として若いうちにどんどん吸収したほうがお得というか…損はしないっ。

わたしもまだまだまだまだまだまだまだまだ未熟者だけれど(目指せポケモンマスター)それでも14から音楽をはじめて、ティーンの内にたくさんの音楽に触れて色んな人に会って話せたことが、やっと今、実になってきた。

時間はかかるとしても、なんでも気が向けられる対象のものはやってみた方がよいと思います。若いと呼ばれる内は。

傷ついても傷の治りがはやいし(細胞の再生もはやいって誰かが言ってた)、強くなっていく(慣れていく)。

ショッキングな出来事があっても、

大抵のことは、「いんや、あの時のが辛かったし….」と思えようになるもので。

その成長が果たして成長と呼べるのか疑問に思いながらも、できることが少しずつ広がっていくよろこびはあります。

何故疑問を抱くかというと、十代ならではの新芽のような柔らかく傷つきやすい感受性はものづくりにおいてとても価値のあるものだと思うからです。

いつだってこどもの眼で世界を見ていたい。

こどもはしらないことがたくさん だから全部が色彩鮮やかで刺激的。

おとなになるにつれ、臆病になっていっているような気がします。

新陳代謝を繰り返すうちに、年輪を増していくようなイメージなのかなあ。

瘡蓋を無理矢理剥がして痛がったりするのが結局好きだったわけで、瘡蓋って言ってるくらいだから死にはせんのですが。

そんな事を考えているとわたしはまだ本当の辛い経験をまだしてないのかもしれない、とおもう。

しなくて済むならしたくないけど、身内や大切な人が死んだり、そういう経験はまだしていないから。

想像しただけで泣けたりもする。

体験したことないことは、やっぱりわからない。

当時14歳だったわたしも、それまでずっと 音楽ではなく絵で生きていこうと思っていた訳で、

でも結果自分を表現して作品にすることが好きだったと気づき、続けていけばいくほど打ちのめされる音楽の底知れぬ楽しさと、とんでもなく素敵な人に次々と出会っていく中で、

自分にしかできないことが見えてきて、でもそれを体現するには時間と努力が必要であり、自由に動かせるまでが大変ですね。

小学生のとき、習字で”努力”と書く授業の日になんかいやだとなんとなく思ってしまい、何故か未だに使うことに若干の抵抗があるのですが

「できる限りの力を使い切りました!!!これで駄目でもわたしはやったったんや、やりました!!!燃え尽きましたワハハ」

と言える程身を費やすことができた日に、自分はただの天邪鬼だったんだなと確信。

そう思えたのが最近のことだったので、一度振り切れてしまえば、謂わば”振り切れ慣れ”をしていくものなのかなと思ってきたところです。どんどん挑戦できるようになってきた。

特に表現に於いては振り切れれば振り切れたものほどカッコイー!と思ってしまう。ただ、それは届け手のことを喜ばせたいという気持ちがちゃんと伝わる方法で表現している方に限るけれど。

よく耳にするホスピタリテイ….

わたしが好きな表現者のみなさまに共通してることだなーと。椎名林檎さん、岡村靖幸さん、平沢進さんなどなど… 其々方向性は勿論違えど、その人にしかできないことが確かに…ある!

わたしもわたしにしかできないことをやるんだ今年は。

最近70年〜80年代の歌謡曲をよく聴いているのですが、歌詞がすーごい良い曲がたくさんある。

その時代にしか書けない歌詞がありますよね。

男女の価値観も違うなと感じるし、でも今と纏う香りは違えど共感する言葉はたくさんあって面白い。

父と山本リンダさんの“狙いうち”を車で聴いてた時に父が「凄まじい高度成長期感」と言うワードを出して、確かにぃ〜と思いました。

時代性を狙って作ってたのかなと想像するけど、

ここまで強い女感を表現しきられると(ご本人も超絶美貌だし)清々しいし、

こんな人も居たんかしらねぇ〜と感心してしまうのでした。

イントロもカッコイー。 

共感できる歌詞の曲は宝物になるけれど、共感できなかったとしてもその表現が素晴らしい場合、色んな人が居ることを知る。人類の多様性っ。十人十色っ。

歌詞って書き手の自分なりの哲学なのではないでしょうか。

わたしはそうです、正しくそう。ふぃろそふぃあー

必ず人それぞれその人だけの哲学がある訳で、わたしはそれを聴きたい。

みんないい人だって思いたい。

世間のニュースをみてるとそんなことないのかなと思い知らされるけど。

それでもどんな人でもうつくしいものが生み出せる可能性を秘めていると信じたい。

音楽や表現が好きなのはそんな理由もあるのかもしれない。絶望がない。

わたしにとって音楽は、いつだって遠くに見える光であるし、目の前を照らす手燭である。

色々書きつらねた。

久しぶりに喋るように….

普段散り散りに浮かぶ思惑が、書いていくと繋がっていくから言語化するのは頭の整理におすすめですね。

ここまで読んでくれた方ありがとう。

平仮名多いのは平仮名がすきだからですっ。

やさしいかんじがするでしょう。まろい感じ。

読みづらかったらごめんなさい。

わたしは普段ふざけるのが好きだけど、公でふざけるものではない が!

たまにふざけたブログを投稿するかも しないかも。

今回のブログは、真面目に書いてたら色々書きたくなって取り留めのないかんじになってしまった。

たまには許してちょんまげ….

Sweet Williamさんと青葉市子さんの「あまねき」にとても心震えた。前作の「からかひ」もずぅと聴いていたけれど、お二人のコラボレイト、周波数きもちよいなあ。日向ぼっこしてるみたいだー。お昼すぎ 窓をあけて 揺れるカーテン 木のつくえ 陽だまり… あったかい曲!みなさんもぜひ マイナスいおーん(^ ^)

さようなら、また会いましょう。すぐ!

一月三日

投稿日:


眠れない夜 やけに静かな夜

過去で形成されてるということをふと思い出し

漂う糸を手繰り寄せて 再び出会う 

久しぶり また会えたねと 抱きしめる

深い紺色の森の中

星の瞬きは

美しい朝を連れてきた

引力 又は 運命の導きか

音も立てず 密やかに 

優しくぶつかって弾けた

光の飛沫が ぱちぱちとまぶたの裏に散って

ちいさな粒は身体中を駆け巡って熱かった

自分を囲むススキが金色に靡いて 

山のおくでオレンジに燃える空

空はいつもより高くて 私はちっぽけだった

胸の真ん中から止め処なく煌めきは溢れ田んぼに流れていった

抱えきれないほど有り余る火照る想いを 

垂れ流しながら ただただ空を仰いでいた

確かに 祈りが届いた朝があった

今でもあの朝の色は離れていかない

縁 円 ⚪︎ まあるくあれ 

ひたすらに 祈り 願う 

イメージする おおきな輪

そう 牛乳みたいなひと

⚪︎

保身はし続けるべきなのだろうか

強くなれるなら強くなるべき?

辛すぎることを拒むのは反射

心が壊れかけたことがある人は

そうならないように 回避しようとする

嘘を吐かずに生きていくことはできるだろうか

きれいごとだけの世界は気持ち悪いかな

優しさに徹するのは 結局保身でしかないのだ

誰かに裏切られたり 傷つけられることがあっても

清らかでいることが正義の盾となると思ってしまう

神様のようなひとはいないし 

神様だってなんでもゆるせるわけではないとおもう

楽しいことの次には悲しいことが起こる 

この連鎖は死ぬまで続くのだろうか 

ここから抜け出せないのかな

闇があるから光があるというのは真実で理で

でもわたしは光だけの世界に行ってみたい 

行けるなら そこに住みたい みんなで

嘘はきらいだ 振りかざすエゴも 

あなたの持つ全ての想像力で 痛みを感じようとして

一番柔らかい部分で触れ合えたらいいね

わたしは知りたい わたし以外のひとの感覚を

わたしは伝えたい わたしのみえてるもの 感じていること ありのままに このままに

もしそれがかなったら 誰も傷つけ合わずに済むのにね 

友人

投稿日:


捲れかかっている二千十九の中

街で人は気忙しい 

其々の心が様々な方向を指し

年末年始にかけ皆声が大きくなっていく

大きな波があちこちで起こるのを

逃げ込んだ部屋の中で傍観している


冬の朝は

ベビーブルーとレグホーン

深呼吸を誘う 

淡いけれど力強い

友人の悩みになんて声をかけたらよいだろう

計り知れない思いを想像するも渦巻

答えなんてないと

とっくに誰しもが理解しながら

最も傷つかない選択をする

かなしみに触れられたらいいのに

ひとごとに守られている

祈っているよ 光を浮かべながら

あたたかな願いをあなたの方へ

果物

投稿日:

こんばんは。

夜が長くなって、冷え込んできましたね。

冬支度は着々と。

みなさんも風邪を引かぬようにお過ごしくださいね。

寒いのがどうにも駄目で冬は苦手ですが、

思い返せば不思議と冬の思い出って鮮明だったりしますね。

寒かったこと 温度は思い出せないけれど。

こんなに寒かったっけねえ なんて毎日のように思う。

この時期特有のすんとした“匂い”は直ぐに心に作用する。

なんともいえない気持ちになる匂い。

そんなことを 一昨年出版された「ワンルーム・シーサイド・ステップ」という小説でも書きました。

あの頃からは部屋も変わって、生活も変わったけれど、

今でも当時のワンルームを思い出しては言葉を紡いだりしています。

どこへ行ってもたのしいこと かなしいことは順番に訪れる。

自炊をしていると、何年も経っているのに母の愛情に触れる瞬間がある。

特に感じたのは果物。我が家では毎朝、食卓には果物があった。

季節毎に変わっていく種類。苺や桃やメロンや葡萄。

スーパーで買い物をしていると、果物の値段に驚く。

自分で買うときはご褒美感覚。栄養面からみても、まさに宝石のような存在です。

苺をスプーンで潰して、砂糖を振りかけ、牛乳をかけて食べるのが好きだった。

プラムが大好きなので旬の時期になると冷蔵庫にはいつもプラムがあった。

親と離れて暮らすと 些細なことから今まで包まれていて気づかなかった大きな大きな愛情に気づく。

私は高齢出産で生まれた末っ子なので、姉達より過ごせる時間が短い。

それは生まれたときから決まっていることなので仕方ないけれど、

時偶すごくさみしくなったりする。

あと何回会えるだろうか。

大切なひとにはできるだけ 会えるだけ会わないと、と思う。

最近私は、レコーディングをしておりました。

マネージャー撮影

まだ全貌はお話できないのですが、GREAT3の片寄明人さんと一緒にスタジオに入っていました。

片寄さんと出会ってから五年程経ちました。

当時私は十七歳。メジャーデビューアルバムに向けて高校が休みの日曜日などにレコーディングをしていたのを思い出します。

メジャー1stアルバム「DAOKO」は片寄明人さんとはじめて一緒に作ったアルバムです。

それまで宅録だった自分が大きなスタジオでプロの方々とレコーディングを共にすることは大きなハードルだったと思います。

そんな右も左も分からないヤワヤワな私でも優しく迎え入れてくれたのが片寄さんでした。

変わらず、ずうと優しい片寄さん。

何より嬉しいのが私の言葉にとても共感してくださること。

そして、声を褒めてくださること。

私も 私の素敵なところってなんだろうと考えたときに浮かぶのが

言葉と声であり、片寄さん自身が扱われる言葉も、持つ声も好きだからとっても嬉しい。

私の作品のデモに真摯に向き合って、

みなさまに届くように一緒に考えてくれる。

自分だけでは客観視できない面や音楽的な解釈が時間をかけていくと、

段々解れていって やわらかであたたかな熱量を持った作品が生まれていく。

ライブプロデューサーとしてライブも一緒につくってくださっているので、

大切な なくてはならない存在ですね。ほんとうに…。

リハーサルも共に入って 本番に来てくださるお客さんの気持ちを考えたアドバイスであったり音楽面での修正であったり、

バンドメンバー含めたみんなで準備するライブ。

そしてお客さんみなさまと会場で出会ったときに完成するライブ。

つい先日ツアーが発表されました。

” 二○二○ 御伽の三都市 tour “

東京・名古屋・大阪をバンドメンバーと共に巡ります。

チケット先行受付もはじまっていますので、是非。

✿チケットはこちらから✿


ツアーのバンドメンバーは

網守将平さん(鍵盤)

永井聖一さん(Guitar/ 相対性理論)

鈴木正人(Bass / LITTLE CREATURES)

大井一彌(Drums / DATS、yahyel、LADBREAKS)

です。

大好きな人達とみなさんに会いにいけるのたのしみすぎる!

わくわく。

鍵盤&編曲&バンマスである網守さんは私の尊敬する音楽家でもあります。

出会いはYMCのコンサートの時だったけれど、

ソロでやられているアルバムを聴いて本当に心震えました。

次々に飛沫をあげる美しい音の粒たちがどこか寂しそうで好き。

本人に「網守さんの曲はどこか寂しそうで、とってもすき!」って伝えたら、

「なんかいいねそれ。」って言ってました。彼らしい返答。

寂しそうっていうのはマイナスイメージの語弊を生みそうですが、

根本が寂しいベースの人間からしたら音を通して勝手に寂しい感覚の部分で共感しちゃったよ〜!って話なのですが、

心が共鳴する音楽はそんなに沢山知らない。

実際に網守さんの音楽を聴いていると泣けてくるときがあります。

でもそれは網守さんの曲が”寂しそう”だから泣いたのではなく、

音達にあたたかな救いを感じたからです。

音楽は日常に彩りを与えてくれるなあと日々思います。

網守さんのパタミュージックというアルバムから感じた言葉達を羅列すると、

薄暗いワンルーム・街・都会・夕暮れ・原っぱ・電線・青年・煌めき

外から見た窓・電車内・コンクリート・彼女

….

こう言葉にしてみると、実際の歌詞ともリンクしているだろうし、

私がこの音楽を聴きながら歩いている情景とも重なっていそうですね。

街を歩きながら聴いていると、街や人が色づいて見えます。

特に“偶然の惑星”という曲は踊りだしたくなるような気持ちになります。

ちょうどリリースされてから一年が経ったそうですよ。

是非みなさまにも聴いていただきたいなあ。

私のバンド編成でのライブ、前回だとWWWXでのライブと東阪ツアーでのセットリストはすべて網守さん編曲なので、来年のツアーに向けてのエッセンスもきっと見つかるはず…!

パタミュージック

久々のブログ更新でした。

また会いましょうね。

十月二十六日

投稿日:

列車で栃木まで

約二時間

車窓に流れていく景色を記録する



縁側の先に見える幼児玩具

川で水浴びするサギ

屋根から高く伸びるアンテナ

ひっそりと実らせる柿の木

庭を掃く老人

ボロボロになったまま放置された障子

大型トラックのフロントに並べられたリラックマ

錆びた犬小屋

物干し竿に吊るされた干し柿

さらさらとそよぐススキ

栃木にあるカリフォルニアホテル

舞い踊るモンキチョウ

窓辺に置かれたサボテン



空気がよくすんだ日だ

とおくに山がくっきりと見える

空は秋の青色この時期の空気の色

車から通り過ぎていく景色

窓から吹き込む風の匂い

カーステレオから流れるやさしい音楽

最近どうですかと世間話

マンゴー味のグミ二粒貰う

柿の木の下で写真を撮った

さっき車窓からいくつも眺めていた

秋らしいねと微笑みながら

誰もいない田園の中 

真ん中真っ直ぐ歩いていった 

山に囲まれぽっかり空いた空の下

こどものきもちでてとてと歩いた

緑と黄白と青色で構成された自然

そうやってずっと生きてきたものたちの色

だからきっと落ち着くんだね

わたしはこの町がだいすきだなあ 

またいきたいところがあるんだ

でも帰らなくちゃお家に 

ビルが目を赤くしてこっちをみている部屋に

詩を書き絵を描き歌を歌う

ご飯を作ってテレビを観たり 

ただいまとおかえり を言える場所

さっきのきもちを残さなくちゃ

とてもきれいだったから



喫茶店でコーヒーを飲む

あなたの話わたしの話をする

二時間経つ

ありがとうさようならまた会いましょう

きっとすぐ

駅は途端に忙しない 

高速で運ばれてわたしの箱へ向かう

帰らなくちゃ 

わたしが更新したことをわたしに伝えなきゃ

1:45

投稿日:

ハギビス

いったいどんな台風なんだろう?

不安な方も多いでしょう。

イベントなどが各地中止になり、

どこへもやれない思いが蔓延しているタイムライン。

嵐の前の静けさか、まだしとしとと降る雨。

まず身近な人達の顔が頭に浮かぶけれど、

本当に誰もが無事であって欲しいと思う。

大好きな人達に会えなくなったらどうしよう。

今日はご飯の味がよくわからなかった。

みなさまどうかご安全に。祈るばかりです。

おやすみなさい。良い夢を!

瓶覗

投稿日:
味方につけられない夜に

香に火を点け 護美を出すため外へ出る

濃紺色の空が東から瓶覗に染まっていくのを見た

新宿の高層ビル群は赤い目を瞬きさせこちらを見ている

冷たい風が頰を撫で

秋の虫の声と雀の鳴く声が彼方此方から聴こえてくる朝

秋の匂いがする 

鼻の奥 すん とする

冴えわたるような感覚が頭から背中に駆けていく

季節が変わる雲が変わる

朝焼けの色も変わっていくように

私も変わっていくのだろう








都会に住んでいると

自分の好きな色がわからなくなる

そんな時に朝に会うと思い出す

私の好きな色 心安らぐ色 青色

喧騒の中でも感動していたい

ネオンの光に目を眩ませたり

明るいディスプレーに目を霞ませても

外へ出て空を見上げたら








風景の中のあなたの好きな色は何色ですか




柴又帝釈天にて 夕暮れ時に

水縹

投稿日:

お久しぶりです、ダヲコです。

すっかり涼しくなりましたね。

蝉の声も聴けなくなってしまいました。

夏好きとしてはすこしさみしい!

夜、窓を開けていると風と虫の声が心地よいです。

秋の虫の声はきれいですね。

ちょうど今も窓を開けてちいさいころ歌った童謡の「虫のこえ」を思い出しながら書いています。

すこしひんやりした気候は過ごしやすいですね。

さっきまで降っていた雨も今は止みましたが、

ニュースを見ていると九州・四国地方は台風で荒れているようで心配です。

無事に通り過ぎていってくれることを祈ってます。

窓を揺らす程の強風や土砂降りな雨は、不安になりますよね。 

ちいさいころは大きな稲妻を家の中から眺め空が裂けるような雷鳴にどきどきわくわくしていたけれど、

この頃はただただこわいなあーとおもいます。

かなしいきもちな人が少しでも減ったらいいと

おもってます。きれいごとだとしても。

私は音楽で自分のかなしいきもちややるせないきもちを昇華させています。 

自分が救われるのなら、私と似たようなきもちのひとはちょっとでもきもちが楽になったりするんじゃないかと。

それはいま、音楽をやっているなかでの希望です。

救うという表現はすこし偉そうだなあと思う。

私は私を救ってる状態という表現がしっくりくるのは

救われている実感があるからなので私以外のひとを救いたいという言い方は余りにも大それた話に思える。

神様ではないし。何か良い言い方はないかしら。

やさしいせかいに近づけるために

やさしいきもちになれるひとと居ること

やさしいきもちになれるものと出会うこと

やさしいせかいってなんだろうって考えること

頭の中でもわもわといつも浮かんでいる

思慮の塊を言語化すると、すこしすっきりするよ。

得体の知れない思惑ばかりになると、疲れてしまうからなるべく形にしていきたい。

何か残さないとと、

一人で部屋にいるとそればかり思う。

そんな一日でたくさんはできないとわかっていても、常に鈍い焦燥感に駆られる。

たくさんにしたとしても、薄まるだけかもしれない。

ただ排出するのが目的ではなく、きれいだと思える作品を残していきたいですせっかくなら。

技術を磨くのは時間と向き合うきもちが大切ですね。

ギターを練習していると、当たり前のことに気づけますね。

排出してきれいなものになるまでのスピードがはやいのが写真や絵ですね。 

音楽は過程にもよりますが、はやいほうだとはおもいます。

もやもやを今日もノートに書いたり描いたり。

手書きで残すのは、その時のきもちの揺れ具合が文字に現れるから。

より鮮明に残るのは、やはり手書きのような気がします。

手書きの文字っていいですよね、そのひとがあらわれる。

手書き文字を見てもっと好きになっちゃうひととかいるなあ。ないすチャームポイント。

ライブも終わり(今回のツアーのことについてはまた改めてじっくり書こうとおもっています。大切なツアーでしたので)

すこし日々が落ち着いたので友達と旅行に行ったんです。 

私は旅がすきです。自然がすきです。神社とか、すきです。あと、地方の居酒屋さんがすきです。 

海外も勿論いきたいところたくさんあるけれど、

今年は日本で行ったこと無いところ行ってみたい。

こないだの旅行の時も、各地でそれぞれ自然の色がちがうのに気づきました。海の色もちがっていた。

旅先でみた夕焼けは桃花色で、

水縹から淡藤色へ変化していく空は

幻想的でした。やさしいあまさ。

不思議なことに旅で出会うどの色も日本的な色なんですよね。

日本を感じるということなのですが、感覚的な話なので言葉だと難しいですね。

日本の自然の色たちがすきです。

どこかすこしさみしいきもちになるでもいやなさみしさじゃない色なんですね。

船が海を進むたびに跳ね上がる白い粒たちをずーっと見ていた。

 凪いでいる水面に反射する光はきらきらで、

きらきらという表現以外浮かばないくらいきらきらしていた。水色と白、光溢れる旅でした。

旅先でも東京でも最近カネコアヤノさんの

新譜をよく聴いています。

どの曲も歌詞がとても良いなあーと、

自分と重ねて胸をきゅーんとさせております。

“かみつきたい”と“ぼくら花束みたいに寄り添って”

の歌詞が特にすきです。

些細なことで感動しているし瞳の中に宇宙があるよねえーと聴くたびに深く頷くきもち。

今の気候にもぴったりで、今年の秋を思い出したい時はこのアルバムを聴くんだろうな。

このアルバムに流れている時間の中に居たいって思います。

いい匂いの生活感がするというか。

めちゃくちゃすきってこと!

ライブもいきたいなあ。泣いてしまいそう、笑。

ここから音楽の制作期間に入るので、

旅や本でチャージしながら、頑張ります。

それではみなさま

またあいましょうね!