太陽が肌をじりじりと熱帯びさせる
額から滲む汗がすう、と頬を伝って鎖骨を流れていく
ペダルを漕ぐ 生ぬるい風がTシャツの隙間を通ってまた誰かの元へ
甲州街道を越えて高架下に並ぶ商店で籠に入った卵を買う
信号待ち 今日の献立を考える
『卵、ねぎ、豚肉…トマト…塩胡椒?鶏ガラ出汁…』
頭の中で食材を並べる 車輪を回す
マジックアワーの中 カラスが鳴くから帰りましょう
黄昏泣く子は誰でしょう
ちいさい命が灯った日
太陽が肌をじりじりと熱帯びさせる
額から滲む汗がすう、と頬を伝って鎖骨を流れていく
ペダルを漕ぐ 生ぬるい風がTシャツの隙間を通ってまた誰かの元へ
甲州街道を越えて高架下に並ぶ商店で籠に入った卵を買う
信号待ち 今日の献立を考える
『卵、ねぎ、豚肉…トマト…塩胡椒?鶏ガラ出汁…』
頭の中で食材を並べる 車輪を回す
マジックアワーの中 カラスが鳴くから帰りましょう
黄昏泣く子は誰でしょう
ちいさい命が灯った日
長い梅雨が明けましたね。
お天道様の元、洗濯物が干せることが嬉しい日々です。
皆さん如何お過ごしでしょうか?
晴れの日が増えてきて、やっと身体の錆が浄化されていくような感覚があります。
日光浴!光合成!大切ですね。
やっと、夏キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!! 感。
外出は控えないといけないけど、夏がきた!という実感で、
気分上々↑↑になりますね。
『anima』のMVが公開されて1週間程経ちました。
COVID-19の影響で撮影も延期となったりもしましたが、
無事に作品として世に出すことができて安堵しています。
監督はPERIMETRONのosrinさんです。
2~3年前から共通の友人が多く度々お会いすることはあったものの、作品としてご一緒するのははじめてでした。
最初古くからの友人であり『おちゃらけたよ』のMVを一緒に制作した
Watanabe kohtaさんに今回のMV制作のご相談をしていて、osrinさんの名前が上がったんです。
衣装は私の最も敬愛するスタイリストの飯嶋久美子さん。
今回のMVの衣装は飯嶋さん節全開で‼︎と進行していったので、コンセプト等は一緒にお話しつつも、飯嶋さんの才能が炸裂したニュースタイルな和装になっています。爆裂格好良いです。
またこのMVは、成人されたばかりのフレッシュな感性溢れるダンサー・アオイヤマダさんとの企画でもあるので、
4thアルバムの中でも1番曲者の(褒め言葉)網守将平さんとのこの楽曲を
どう視覚表現していくのか、踊り・演出・映像化含め難易度が凄く高かったと思います。
そもそも曲作り自体が網守氏との試行錯誤繰り返しの末、完成した思い入れ深い作品でもありました。
だから絶対、映像化したかったんです。
この曲をいろんな人に聴いて欲しい!と思ったんです。
バンドでバンマスを務めてくださっている、キーパーソンでもある網さんとのはじめての楽曲作りは、網さんの才能に対して想像を絶する作詞工程と、
それに伴いラップの難易度も自分の今までの壁を打ち壊さないと進めないなというレベルだったので、チャレンジ体験でした。
この曲でラップするの、韻を踏みまくらないとリズムに干渉するんですよ…だから今までで1番韻を踏みました笑。
韻を踏みながらも、言いたいことを言う。
両立させる難しさもありましたが、言葉遊びの楽しさを改めて実感したし、完成した時の悦び・達成感は今までにないものでした。
でも、きっとまだまだいける!とも思えたんです。
バンドサポートメンバーの奏でるそれぞれの音楽が本当に大好きだからでしょうね、未来に光を感じています。コロナで中々会えないけど、一緒に曲作って行きたいなあ。
こうやって振り返るだけで色んな人の顔が浮かびます。
バンドのみんな、片寄さん、美島さん、ヘアメイクのくじさん、牧村さん、マスヤマコムさん、アルバムで一緒に曲を作ってくださったみなさん、スタッフのみなさん….。
ひとりひとりにありがとうございますと、伝えたいなぁと、
いつも思うのですが、溢れてしまうんですね。
この人に、言えてなかった!とか。
関わってくださる人数が多くなるほど、ちゃんと誠意を伝えきれない。
だから、手を伸ばして触れることができる範囲内で、丁寧に大切な人と関わって行きたいなあと思っています。
どれだけ日々を丁寧に過ごしていてもミスをしてしまうし、
善い行いを心掛け生活していても不幸な事は起こるし、
不条理だな、報われないなと思うことも多いけれど。
それでも毎日祈って、なるべくなるべく人に嫌な思いをさせないように生きたいです。
何事も貫けば、その人の望む場所に近づく・近づくはずだと思っています。
『anima』MVのお話に戻ります。(脱線してすみません)
私は今回のアルバムコンセプトでもある「anima」を題材に提案しました。
ちょっとややこしいのですが、アルバムタイトルのanimaは魂という意味が強くて、
歌詞のanimaは、魂+ユング提案のanima&animus です。
映像の中ではanima(男性の無意識人格の女性的な側面)
animus(女性の無意識人格の男性的な側面)を静と動や視覚表現で表しています。
監督osrinさんもこの題材に興味を持ってくださって、最終的には….宇宙と….繋がってましたね……笑笑
哲学や心理学、アニミズムや古事記などに影響を受けて作ったアルバムなので、
興味を持ってくださった方は是非調べてみてください〜!
私は東京生まれ東京育ちで、ビルに囲まれて過ごしてきたのですが、
自然の中に居る時が一番心が落ち着くし高揚するんです。
なんでだろう なんでこんなに自然って素晴らしいと思うんだろう?と疑問に思っていて、
出会ったのが英国の進化生物学者リチャード・ドーキンスの[進化とは何か]という本の、デザインとデザイノイドという考え方だったんです。
拙い説明になってしまうと思うので、
詳しくは本を是非読んでいただきたいのですが、
要はデザノイドはデザインされるように見えるけれども、
実際にはデザインされていないもの、なんです。
蝶々などは進化の過程で、なるべくして、自然体で美しいのです。
自然物全てに例えられると思いました。
余裕があって、自然体で、風があって空があって、木が靡いている。
そんな自然の風景は正にデザイノイドだと思ったんです。
田舎で息がしやすい理由を見出しました。
私もデザイノイドとして生きていきたい。そう思いました。
人が人をデザインするのは、アートの観点では素敵だと思います。
然し人格や人間の尊厳を侵すようなレベルで人間が人間をデザインするのは、
限界があるのだと思います。芸能的な悪い報道などを見ていると、ふと思ったりします。
憶測ですし、デザインされたいと思う人は居る、とも思います。
私が言っているのは、綺麗事ですが、私は綺麗な世界で綺麗なものをみて感動して生きていきたいなーと思っています。
そんな想いをたくさんアルバムの曲たちに込めました。
届きますように。
そして今日という日が、みなさんにとって善い日になりますように!
しとしと降ったり止んだりな雨。
部屋干しの繰り返しで何となく滅入る。
近くにコインランドリーがあったらなぁと思う。
取り出したての、ふわーと柔軟剤が香るあたたかい洗濯物がけっこう好き。
然し残念ながら、近所にはコインランドリーがない!
そして乾燥機付き洗濯機を置けるスペースもない。
うーんと考えれば、べつにそこまで困ってもいない。
「ま、いっかー」と着ていた服を洗濯機に放り込む。
梅雨はよくあきらめる。
ベランダで育てているプチトマト、小さな赤玉。
ちいさくはち切れそうになっていたのを捥いでみると、お尻がスズメに啄まれて真っ黒になっていた。しょんぼりである。
人の心にもカビが生えそうな、ここんところですが、なんとかやっていけそうかなあ、みんな。
喜怒哀楽以外の時間の方が圧倒的に多いと、リリーさんとみうらさんの対談本で最近読んだが、ほんとにそうだなーと思う。
なんともいえーん気持ちで過ごしています。
麻痺させている感じもあるけれど。
ニュースや情報に、過敏になっていたら疲れ過ぎてしまう時期なのかもしれませんね。
雨がやめば、蝉が鳴きはじめそうな。
今年の夏はどんな夏になるのでしょうね。
プラムを齧りながら、何を眺めようかな。
家で過ごすことが多くなるのはわかっているので、
今夏は絵を描いて過ごそうかなと思っています。
小さいキャンバスにちまちま描く事ばかりだったので、少し大きめな絵にも挑戦したいなと…。
デッサンを今一度頑張らないととも…学生時代は鉛筆デッサン好きだったんですけどね、機会が無くなると踏み出せなくなりますね。
デッサンに関してはもう描きまくるしかないですからねー楽器の練習と似ているなあ。
やればある程度までは上手くなれるけどーーていうやつですね。
デッサンなら好きなモチーフ、楽器なら好きな曲を練習するのがいいんだろーなーー。
学校じゃそういう風には進めないけどねえ。
好きなものって段々わかってくるものですね、最近思う!よくわかる。
心動かされる事象はたいせつです。
何をするにもエネルギーが必要なので、エネルギー配分ちういダ!
食事・睡眠は充電ですね。
ていねいに過ごすべく、神経を指先の先まで通すのだ。
ビビビー。イメージですがっ
こんにちは。
先日、新しいミュージック・ビデオを公開しました。
今回もコンテを作るところからスタートしました。
発案したのは去年の暮れだったかしら。
すきな曲を聴いていると映像が浮かんできます。
勝手に脳内でMVを作って妄想するのが楽しくて、
小さい頃からの癖でもありました。
事務所を独立して自分で発案していくことが多くなり、
絵を描くのが好きな訳だしコンテも描いてみよう!
と思い立ったのがきっかけです。
4thアルバムにも収録されている曲たち
「御伽の街」→「おちゃらけたよ」→「帰りたい!」
の順にビデオ制作をしてきました。
今回の「帰りたい!」は過去最多枚数のコンテで、
音にしっかり合わせてイメージする素材を当てはめていく必要があったので、
汲んでくださる方じゃないと難しいだろうなあと思ったのと、
ヘルミッペさんのpixel artを活かして曲のPOPさを表現できる映像センスを持った人は
佐伯雄一郎さんしか居ない!と思ったのです。
出会ってからもう5年は経っているので、その間たくさんの作品でご一緒しているし、バンドメンバーとしてライブ映像を全部作っていただいていた方でもあります。
しかも、佐伯さんはゲームカルチャー好きなのです(ストリートファイターめっちゃ強い)
TrackはChip Tanakaさん(8bit音楽の巨匠)なので、絶対ゲーム好きたちが作るのが最強な訳ですよ!
私はゲームプレイ自体あまり得意ではないけど、ゲーマーの姉の後ろ姿と画面を幼少期から見続けてきたし、試験勉強は専らゲームのbgmだったので、ゲームカルチャーはいつも側に…pixel artやGIFやチップチューンも好きです。
みんなテンションが高い状態で作り進めるクリエイティヴは楽しいし、
あとで後悔できない作品が生まれるなー!と改めて思いました。
ヘアメイクはお馴染みの久慈愛さん、衣装制作&スタイリングは飯嶋久美子さん(愛称ぽろんちゃん)、ダンスの振付はelevenplayのNON先生です。
皆、人として大大大好きなのです!愛溢れまくりです。
職種は皆違えど、作品作りへの愛が凄い。
もっとこうしたら良くなるんじゃないか をずーっと考えている人たちなのです。
出会ってから一緒に作品を作り続けていくと、感覚をより近いところで共有できるようになっていくのがとても面白いです。
このメンツ・このやり方・この曲でろっくしつづけるのさぁーーー
という気持ち!
「帰りたい!」という曲は、そのタイトルの如くお家に帰りたいよ〜うえ〜〜〜んという切実な想いをラップにしてみた曲です。
タイミング的にコロナの影響でstay home内容とも重なったのは、偶然です。
ふつうに家出た瞬間に帰りたい‼︎となるから作りました。
家から出られない日が続いて、外に出たい‼︎となってたんですが、コロナが少し緩和していた6月頭〜外に出る機会が増えると、いや、やっぱり、帰りたい‼︎‼︎‼︎となりましたね。
制作は去年秋〜はじまっておりました。チップ田中さんと曲作りたいな〜と思ったのは、Twitterでたまたまデデマウスさんとコラボされているのを見て、えっ声が届く存在なのか…もしかしたら反応して貰えるかも…と思いメールフォームからお声がけ。快くOKしてくださって、制作がはじまりました。
LIVEも何回か実際に観にきてくださったり、お会いすると面白くて優しい方で、感動したなあ。
一聴するとゲーム音楽のやうなサウンドですがいろんな音楽要素がぎゅぎゅっと詰まっていて、かっこいいんですよね〜日本の宝と思ってしまう。
ラップも楽しくするするとリリックが書けたのを思い出します。
去年は家で自炊を頑張り始めた時期でもあるので、「早く帰ってお家でごはんをゆっくりYouTube観ながら食べたい!」という気持ちが盛り込まれています。
あとインターネットで攻撃してくる人も実際会って話したらわかり合えるところもあるのではないか?!と思い「素面で朝までシェイクマックでどうやい?」と書いたりしました。フィクションですけどね笑。
ラップだとお茶目に表現できるので、いいですよね。
シュールとも取れるし、茶目っけがあるリリックはリスナーとしても好きです。
みんな悪い人じゃないでしょ?って問いかける歌詞が多いかもしれないですね、今回のアルバムは。
最近は日常的に書き留めてストックしている文字や文章から構成していくことが多いので、普段生きていてふと思うようなことだったり、ひらめきだったりが多いです。
結果それがすごく自分らしいというか、自然にでてきた言葉たちなので自然体ということなんですよね。
どれも自分自身が光を見出した言葉なので結晶のようにずっときれいです。
またアルバム収録曲たちについては少しずつ書いていこうと思います。
お話しようと思えばいくらでもできてしまうような気がする、今回のアルバムは特に!
全然DOMMUNEで話足りんかったということですな(`・ω・´)また片寄さんともはなしたいし、バンドのみんなとも音楽談義したいなあ。
COVI D−19感染者がまた増えてきているので、気を引き締め直さねばならないですね。距離は遠くても 表現で みなさまと触れられる方法を考えていきたいとおもいます。
不要不急の外出は控え、お家で愛を育てましょう!
ダヲコ
皆さん、こんばんは。
久しぶりの更新になってしまいましたね。
お元気でしたか?
まだまだコロナ禍、緩みそうな気を引き締めて、手洗い・うがい・消毒しっかりしていきましょうね!
今のなんとも言えない気持ちに寄り添う新譜が配信開始されました。
4th Album “ anima “
届きはじめているでしょうか?
ずーっと、繰り返しこのアルバムを聴いて過ごしていたので、自分以外の人と感覚を共有できるのがとっても嬉しいです!
そしてこんなに感想が気になるアルバムは前代未聞だっ。
内容については、一先ずナタリーのインタビューで一通りお話ししておりまして、ライターの佐野さんが引き出してくださった言葉たちもあるので、今はそちらをみていただいたほうが良いかなあ。
https://natalie.mu/music/pp/daoko07
24日のドミューンでも片寄さんと一緒にアルバム全曲解説したのですが、時間的に全然話し足りなかったのでまた何処かで機会を設けたいなと思っております笑。
宇川さんがとっても素敵な人で、もっと話したかったでした。
配信ライブもほぼ初めてだったんですが、想像以上にちゃんとライブの感覚で出来たなーと思います。
カメラの向こう側にお客さんを想像できた!
想像力(妄想力?)、大切ですね笑。
とはいえライブハウスで演るライブの”代わり”にはならないなぁとやってみて確信しました。
あくまで、配信ライブという別のコミュニケーション方法という認識ですね。
ライブができない状況でもリスナーと、コミュニケーションがとりたいから演る。
ライブハウスは体感ですからね。それに勝るものは難しいと思います。電波を通っちゃうわけですからね。ホカホカご飯も届くまでに冷めちゃうよなんつって。
生のエネルギーは半端ないです!!!はやくライブ行って踊りたい(ライブ好き)
配信のやり方をもっと考えていかないとなぁと思いました。
演出含め、届けるなら工夫して届けたいですよね。
配信ライブする為にもお金が必要だし、少人数とはいえ人が集まることにはなるので対策面もしっかりしていかないといけない中、ただ演るだけではどうなんだろうかと。
そのアーティストにしかできないような配信ライブが出来たらいいなぁと。自分だけじゃなく配信ライブやりたいと思ってる方々の思いも考えたりしています。
その点ドミューンの宇川さんがご提案してくださったAR演出などは、とっても良いなと思いました。
視覚的に楽しい要素が増えるってことですからね。
リスナーさんに楽しんでいただける仕掛けを、アーティスト自身も考えていかなければならない時期なんだと思います。動かなければ確実に淘汰されてしまうものがある、とわかっているからこわいですよね。
現に私の思い出の場所であったクラブも次々無くなっているし。場所だけじゃなくて、アーティスト達も苦しくなって音楽やめざるを得ない、なんて嫌ですよね。かなしすぎる。
脱線してしまいましたが、アルバムについてお話を少し。
2年程の制作期間中、丁寧に音と言葉と人と向き合って出来た結晶のようなアルバムです。
自分で音楽家の皆さんにお声掛けしたり、作曲に挑戦してみたり、原点回帰とも言えるだろうし、新たな世界も広がった大切な宝物のような存在です。
純度が高いといいますか、混じり気のない音楽だと思います。
今までの活動全てを私は愛しているし、
その時々のベストを尽くしてきましたが、
自分の本当に好きなものがわかった状態で、
自分にしか作ることができないと思える作品を具現化できたことが素晴らしい出来事なんです。
好き!のパワーはすごいってことですよっ。
形になったことで凄く救われました。
しかもその結晶が、とっても綺麗だなーと、思うんです。
俯瞰でみてるつもりだけど、どうしても作り手の愛があるので完全俯瞰ではなさそう…。
1曲目のVOICEの歌詞にもあるように、
このアルバムがこれから先歩んでいく未来への行きの切符なんだろうなと思っています。
私は音楽が大好きだなと再認識したし、
MVのコンテを描いたり、音源を届ける方法も自分で提案したり、音楽だけでなく自己表現について真摯に向き合うきっかけにもなりました。
音楽を作って終わりではなく、その音楽を届ける為に様々な職業の人がいて、ひとりでは作り上げることができないこと。
当たり前のことであるし、知っていたけど、それでも目の当たりにして、感謝の気持ちでいっぱいになり、今居る大切な人たちに恩返ししていきたいと強く思いました。
バンドメンバーと出会ってライブを重ねてからも、音楽に対する愛は深まるばかりです。
それぞれの素晴らしい演奏と音楽愛にいつも刺激を貰っています。皆キャラがあって仲睦まじいのもめちゃんこ微笑ましい笑。
今回音作りに関わってくれた人たちは、
古くからの知人が多いです。
時を経て再び出会うことは運命を感じますね。
私自身が音楽家達のファンであるから、
やったー!一緒に作れるなんて!嬉しい!
という気持ち笑。
それはそれは、良いエネルギーに溢れ、
楽しみながら制作することができました。
風通しがよいと、純度の高い作品が生まれるんだなあ。
私は色んなジャンルの音楽が好きです。
広く浅くというと少し恥ずかしい感じがするけど、
曲単位で恋をしている感じで、
この曲好きだ!となると、
これはジャンルで言うとなんだ?と調べて知ることが多いです。
ドラムンベースとかね!!!(Zukizuki)
YouTubeやサブスクリプションのプレイリストみたいな感覚ですね。
CD文化も体験しているけど、インターネットを早くから利用していたので、良くも悪くも広く浅く…。
浅い深いも人それぞれですしね。
なんともいえないところではあるのですが。
一つの音楽を突き詰めて掘り下げていくことに
憧れもあるし、コンプレックスを感じたりもするのですが、今回のアルバムを経て、私はこれでいいんだ!と振り切ることができたなぁと思います。
あの音楽がすきなのでこの音楽になりましたという感じ。
私にとって音楽は日常を彩る色彩で、欠くことのできない存在です。
人によって存在意義も違いますよね、きっと。
コロナを経験して、音楽なんて聴きたくないなーって気分の人はまだまだ世界中にたくさん居ることでしょう。
実際に私も緊急事態宣言中はやさしい音楽(インスト多め)ばかり聴いていましたしね。
そんな中でリリースしたアルバムですが、延期も選択肢にはありました。
予定通りにしたのは、このアルバムの曲達は寄り添えるやさしさを持った曲達だと思ったからです。
フィジカルリリースは7月29日になりました。
通販あるとはいえ、ネットショッピング苦手な人もいるし、CD屋さんに行くこと自体躊躇してしまう人も居ますしね。
私も落ち着くまで人混みはなるべく避けたいと思ってます。
でもCDはCDでやっぱりいいですよ、音も配信より良いし、今回はブックレットで私が敬愛するイラストレーターの始発ちゃんさんが沢山描き下ろしイラストが見れるので、手にとって歌詞と絵を楽しんで欲しいなぁーと思っています。
飾っても素敵だろうなあ。
繊細でうつくしい織物のような線達に引き込まれます。
描かれる少女たちは可愛いらしいけれどどこか寂しげで、心がギュッとするんです。
曲を聴いて描いてくださった絵もあるので、始発さん自身も、アルバムに寄り添ってくれたことに感謝しています。
一緒に渋谷をお散歩しながらロケハンしたのも良い思い出です。
なぜ渋谷にしたかというと、都市開発で工事が盛んに行われていて目まぐるしく景色が変わっている最中だったからです。
はじめてライブをしたり、ライブをたくさん観に行ったり、学校以外で友達が出来て、クラブ文化に触れ、古着屋BOYを通してファッションに興味を持ったり…色鮮やかな思い出がある渋谷ですが、空が無くなってきている。
渋谷に固執していた時期もありますが、今は自然の中に魂がある感覚があり、海や森や田んぼに行くと息がしやすいなぁと思います。
たくさん通ったし、今も訪れることは多い渋谷ですが、これからどうなってしまうんだろう?工事はいつおわるんだろう?
疑問を可視化したかんじですね。
あの頃の渋谷の欠片を写したアートワークになってます。
ギリギリセーフ!てタイミングでしたね笑。
頭の中に浮かび続ける ??? の正体を確かめる為に、哲学や生物学、自然学などの本をよく読みます。
答えが知りたいのではなく、単純に頭の中の思惑が文章化されてると凄く落ち着くんですよね。それと、よかったーこう思ってたの私だけじゃなかったんだ!と、感覚を共有できるのが面白くて。
今回アルバムにはそんな本達から出会った言葉も散りばめられています。
キーワードとしては、meme、デザイノイド、◯….
まだまだあるから見つけてみてくださいね。
特にanimaという曲の歌詞が、思惑の総集編って感じです。普段考えてることを語感の気持ち良さ、韻律も考えた上で音楽に乗せるのは難しいけど楽しい作業でした。
ドミューンでの片寄さんとの対談のときに、
普段の私と歌詞の世界の私とではギャップがあるという話があったのですが、確かにそうなんですよね。
陰鬱でエッジの効いた毒々しい言葉も時には使うんですが、普通に普段思うんですよ、皆が裏垢で書いているようなことも。でも私は作品の中に閉じ込めてるだけなんだと思います笑。アウトプット先が違うのと、表現はうつくしくあってほしいという自分なりの拘りみたいなものがあるので、言葉は考えます。吐瀉物そのまま見せないようにしてるって感じかな…濾過して濾過して、作品になる。
多重人格の病気の話ではないんですが、
自分の中に幾人かの人格があって、嫌な奴も居るんですけど、許せないんですよね。自分で自分を。
作品の中では好きにして良いよーってルールを作れば、無理がない。
嫌なことって、発したら自分に絶対返ってくるんですよ。因果応報って言葉がありますが。
だからなるべく、誰にでも、やさしい人間でありたい。
ああ嫌なことを言ってしまったなって思うと、ブーメランに鋭利な刃がついて返ってくる感じ。
心にグサーと刺さりますよね。
自分が辛くならないための自己防衛でもありそうですね。
健やかに暮らして行く為にも、生きがいを持って生きていく為にも、表現がとても向いているなぁと思います。
自分が好きな自分で居られる人・ものに囲まれて生きていけたらいいですね。
私にとって音楽はひかりでもあります。
祈りはひかりにも似ていて、
祈りで織ったこのアルバムが、
聴いてくれた人のひかりになりますように。
ささやかでいい、日々の彩りになりますように。
ダヲコ
皆さんどうも、お元気ですか。
粛々と、静かな日々を過ごしております。
花に水をやり、今日のご飯は何にしようかと考え、読みかけの本たちをパラパラ読み、気が向いたら絵を描き、歌を歌い、このさきを見つめる。
頭の中の声は変わらず多弁で、
悩みの種は雨のように降り続け、
そのどれもがこどものもつような“?”なのだろう。
「見えている赤色はみんなが見えている赤色なのだろうか?」
「音楽を可視化するなら、ギターはエッジの効いたトゲトゲで肩の辺りを浮遊していて、ベースは脊髄のあたりからじんわり響く感じ、ドラムは骨盤の…」
など、頭の中では取り留めのない話題で常に会議が行われている。
ほとほと疲れてしまう時があり、
そういう時は部屋を真っ暗にして、静寂の中ベッドに逃げ込む。
小さい頃みた心霊番組のおかげでオカルトの類が全方位苦手になったのだが、
一度暗闇ととけこむような感覚を覚えると、本質的にはこわくなくなった(ような気がする)
とはいえ、ホラー映画を観たりはできないけれども。
ひたすらに睡眠に徹していても、都合よく熟睡できるわけではなく度々起きる、感覚的に回復し切れてないのを確認し、また夢の中へ。
その合間に七色に光る閃光をリビングを隔てる戸の隙間に見たり、
誰かの低い声が右側から聴こえたように思えても、
不思議とこわくない。
オカルト的現象のそのすべてが幻聴・幻覚であるかもしれないが、其れらをまやかしだと証明できる術もない。
結局一番こわいのは人間だーとも思うし(人間同士でしか傷つけ合えないから)
生霊・言霊の存在も否定できない。
私は霊感も無いし、実際にお化けを見たことがない。
でも人生の中では、心から感動し、一生忘れないであろう景色・瞬間がある。
それは涙を流すほど美しく、生きててよかったと強く思えるような場面。
その瞬間、その場所にはかみさまが居たのではないか、と最近思う。
と言うよりか、この感覚が“かみさま”として語り継がれているのだろうな、と感じた。
そしてそんなことを考えていたときに偶々読んだユングの本にも同じような事が書いてあり、他にも同じように思った人が居たんだと感動した。
私が哲学や心理学や生物学の本を読み漁るのが好きなのは、
頭の中で次々と浮かぶ“?”を処理するためである。
自分なりの思惑を、誰かと共有(共感)したいのだ。
共感するために本を読んでいるともいえる。
17歳の時、初めてニーチェのニヒリズム(特に強さのニヒリズム)を知ったとき、心震えた。
まさしく!私も同じことを感じていたんだと。
共感したことで、私だけじゃないんだと言う安心感が生まれたし、
生きるとはなんぞや?と深く考えてる人が沢山いると言うことを知って希望が持てた。
生きることは辛いことだ、でも生きるしかない。
皆が辛いと知ることで、わたしも皆と同じ人間なんだと思えた。
それでも、その本に書いてある100%共感できるわけでは無く、一冊に対して10%でも共感できたら嬉しいものである(歌詞に対しても同じような事が起こる)
私の頭の中の“?”は、きっと誰かの脳内で似たような形で生まれてきたものなんだ。
まったく同じじゃなくて、限りなく近い形で。
“?”と向き合う事で、生きる意味を見出している。
そして創作が生まれる。
まったく生きづらい、みんなこんなに生きづらいの?とまた“?”は生まれる。
そして消える事はないだろう。
再び本を読み、人間同士触れ合う。
誰かの感覚になれたらいいのに。
そしたらやさしい世界に近づくのに。
酷い言葉も無くなって、犯罪も無くなるんじゃないか。
でもそれは不可能だ。
わかっているけれど、私は他人の感覚になってみたい。
想像する。でも正解かはその人自身にしかわからない。
「どうしてそのような言葉をお発しに?」と、
確認できる相手とできない相手が居るし、
出来る関係性であっても一々そんな事を聴いてくる輩は鬱陶しくて堪らないだろう。
「自分で考えて!」と投げ出したくなるのも解る。
つい、うっかりハテナをぶつけてしまうが、なるべく、なるべく口を紡ぐようにする。
そして文献に頼る…。
私は普段鈍感らしく、変なところだけ神経質で、抜けているところは滅法脱けている。
確かに、言われてみるまで気づかなかった…と言う癖が23歳にもなって次々発覚する。
A型だと思って生きてきたが、去年の元旦献血をした際にO型だと知る(今までの血液型占い、一体だれの運勢で一喜一憂していたのか…)
なんでも本に頼るのは自分の考える力を弱らせてしまうのではないだろうかとも思うのだが、甘んじて手を伸ばしてしまう。
本や他人の知恵に頼らず器用で柔軟に生きる人に憧れる。
その人なりにうんと頭を使って、見出してきた答え。
一人一人全く違う思想を持っている、その人にとって一番しっくりくる答えが、その人の答えだ。
環境の違いと言い出したら全ては環境の違いでお終いになるので、
できるだけ努力して、まともな人間に近づいていきたい。
〜まともがわからない♪
一人一人が別人格で、家族であろうと別個体な訳で、
ばらばらなのだけれども、人間はやわらかい。
やわらかいのでみんな微調整して生きていく事ができる、と思っている。
その中でも、かたくてとげとげした同士は似たような形をした人達が集まる場所がきっとあるだろうし、
やわらかくなれる方法はたくさんあるかもしれない。
夜風が気持ちいい季節ですね。
荒ぶる風音は少し心がざわつきますね。
雨雲は流れ、晴れるでしょうか。
おやすみなさい。
❀
メモ: 音楽は記憶のトリガーになったりもする。
一日の殆どを家で過ごし、
食糧の調達の為、外に出る。
何通りかある近所のスーパーまでの道。
なんとなくの気分で今日の道筋を決めて進む。
ツツジがぶわ、と咲き連なる垣根。
小学生の頃迄は、採ってちゅーちゅー蜜を舐めていたなーと、思い出す。
今となっては千切るのはかわいそうでできないし、
排気ガスも気になる。
地面に目をやると、蟻が白い欠片を運んでる。
“ただ見ている”という感覚は、いつぶりだろう。
懐かしい感覚。とうに忘れていた自然観察。
旅先の山々や田んぼには、度々見惚れるけれど。
ぼーっと、ありふれた日常の、東京の、コンクリートの間を繋ぎとめるかのような、ちいさな草花やそこに生きる虫達を、傍観するのだ。こどものように。
人通りがない瞬間、マスクをズラして空気を吸う。
生ぬるく湿った風が頬を撫で、初夏の匂いが胸いっぱいに広がる。
この匂いで、じんわりと胸が熱くなるのは、何回目だろう。
深呼吸をする。
呼吸の度、記憶の中へ潜っていく。
散歩の時間に、よくこどもを見かける。
保育園や幼稚園、学校がお休みだからだろう。
私が君たちの年齢だったら、どうなっていたかな?
過去の記憶を思い返す。
断片的ではあるが景色は鮮明に次々と浮かんでゆく−−−
然し、その時の自分の気持ちが思い出せない。
ぽっかりと、空白だ。
どんな気持ちでそこに居たのかわからない。
過去の自分が、本当に今の自分と同一人物なのか、
途端に不安になったりする。
同一人物でしかないのだけども。
あれもわたし。これもわたし。
わたし、なんだけど、今のわたし、ではない。
人間は、その生涯のうち、幾度と無く人格が再形成されていくものなのだろうか。
直近の、今現在の自分の感覚しか確かだと言えない。
現実味がなく、過去は確かな感覚と不確かな感覚、両方含んでいるから変な感じ。
夢と似ているとも言える。
此れは、単純に自分の脳の容量が相当ちいさいってことなのか?
だとしたら由々しき事態であるが…
私はもしかして、ふつう、ではないのか?
もしかしたら凄く変??–––
幼少期を振り返る最中、頭の中でこんなことを喋っていた。
みんなの感覚が、みんなの普通が、知りたい。
まともがわからない。
何をもって普通とするのか、正解はない。
人と繋がって生きていきたい故に、
人間に共通する感覚を知ることは、必要不可欠であると考える。
音楽を通して人間を知り、未だ知らぬ私を知りたい。
上記で書き連ねてきた通り、自粛期間中は何度も幼少期の感覚に触れる。
掃除もその要素をもつ。
時間がある分、普段より念入りに掃除をする。
床をボロ切れで拭いていると、小学校の掃除の時間を思い出す。
青いバケツが濁っていく。
身の回りが綺麗になると、
いろんな物事が すう と、こころにとけてゆく。
でも、わたしはもうこども ではないようだ。
ぴかぴかのお天気の中、行き交う歩行者を見ていると、そんなに暗いかんじがしない。
でも家に帰り、TV・ネットニュースを見ると、此方側の晴れ間は当分先のように思える。
みんながつらい。
なにかしたいんだ。
其々がウズウズとしている。
でもお家で待とうね。
余白の中でなにかできることはないか、考える。
自分が得意な方法で、みんなとたのしめることを。
家という限られた空間で提供できる、音楽のたのしいこと、たくさんは無い。と思う。
でも何かしら必ず、或る。
ライブはできないよ暫く、きっと。
とにかく人と会わないように。
莫大な情報網・インターネットの中であっても、
今の今、出来ることは限られている。
じたばたせずに、息を丁寧に吸って吐く。
にんげんの健康が大切なので、
静かな暮らしを、暫く続けてみよう。
みなさんの暮らしが、凪の水面のように静かでありますようにと、祈るばかりです。
こころ穏やかに。
生活の中に細やかな幸せをみつけられますように。
音楽は光のよう。光は祈りのよう。
世界を変えるような大きな力はないかもしれない。
でもそれでよいのだと思う。
音がふりそそげば、辺りがあかるくなるだろう。
心に灯れば、あたたかくなる。
稀有でうつくしい、おんがく
おんがくがすきだ
おんがくの一部になれて幸せです
ありがとう
明日天気になあれ
上手く切り揃えられずどんどん短くなっていく前髪を
鏡で見て、
こんなこともひとりでできないのか、とおもう。
今までわたしたちが摂取していた”当たり前”が姿を消していく。
人に会えない時間の中で人のことを考える。
否が応でも、自分自身のこころと向き合うことになる。
こんがらがった果ては、単純明快。
“音楽が好きだ” “音楽(表現)で他者と繋がりたい”
普段からなんとなく浮かんでいるものが浮き彫りになっていく感覚は、
音楽をはじめた頃の、初期衝動に近い。
エネルギイを溜める(貯める)ことに専念し、
そして事態が休息した時に、
このエネルギイで皆といっぱい遊べたらいいな、と思っています。
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余談ですが、省エネモードに適応すべくゆる断食(かなり)をしてみた結果。
抑圧された環境下の中耐えられず1日しかできなかったけど、
それでもごはんが美味しくて美味しくて。
やっと会えた時の嬉しさったら、すごいなー。
また今までの様に遊べる日が来たら楽しくて堪らんだろうなと、
当たり前だった過去の絵を未来に浮かべるのでした。
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表現者というものは、感受してくれる人が居ることでその形になれる。
家では、皆おなじ人間で或る。
ステージ上・メディア上での人物像をあわせると、
アーティストは誰でも多重人格的ともいえる….と思う。
全ての人格を含めての”ひとり”であるから、
ひとり欠けた状態の今、ひとりぶんの熱量が余る。
だからこの時間は無駄では無いと思える。
何か表現しなくちゃ、残さなくちゃ、と毎日焦燥感に駆られるも、
自分自身だけを救う作品は今じゃ無い。
みんなの幸せを想像する。
想像力が備わっていてよかったよ。
想像力のおかげで、やさしさが生まれる、と思っている。
やさしい世界になりますように。
祈りの日々はつづく。
わたしが愛する世界の一部として、役割を果たしたい。
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久しぶりに(といっても2日ぶりくらい)音楽を聴いたら、
なんかよくわからんけども、ちょっと、涙がでた。
懐かしい曲を聴いたからだろう。
音楽を聴いた瞬間に世界が変わる。旅に出る。
音楽は記憶と密接である。匂いと同等レヴェルだと思う。
わたしが聴いたのは、
ムード・インディゴ 〜うたかたの日々〜 という
ミシェル・ゴンドリー監督の映画主題歌である“ghost surfer”
17歳の時に横浜の映画館で観た以来、私の人生で度々流れる曲。
音楽としての素晴らしさは度外視して、
その時見えている景色と自分の感情とが、黄金比のような形で合わさって、
総合的に、かけがえのない、とてもうつくしい宝物になる。
そして音楽(曲)が鍵となって、またその場所へ行くことができる。
そこでは今も(いつでも・いつまでも)観覧車がゆっくりと回っているし、
東京湾はきらきらと揺れている。
こんなふうに、すばらしい場所に連れて行ってくれる曲たちが或る。
たくさんはない、大切な友人だってたくさんはいない。
この世界とお別れをしなければならない時が来たら、
残された時間、鍵となる曲たちを聴き、旅をして過ごしたい。
そしてわたしも、誰かにとって、すばらしい景色に行ける鍵となるような
音楽を作れたらいいな。
わたしが音楽をどうしようもなく好きなのは、
音の粒そのもののうつくしさを愛しているからでもあるし、
演奏家の魂が宿ったLIVEで心が震えたりするからでもあり、
忘れられない思い出にはいつも音楽が鳴っていて、
その時鳴っていた音楽(テーマソングのよう)を聴けば
いつでも回帰できる、旅の切符のようなものでもあるからです。
過去はふとした瞬間に夢幻かのように思え、
「あれ?あれは夢だったのかしら。」となりますが、
音楽がキーとなって脳が覚えているのです。
カレンダーにいくら記録して、見返しても、
その時の心模様までは再現できません。
今日も音楽の力を借りて、いろいろなところへ旅にでる。
みんなはどこへいくのだろうか。
祈るように歌う
にんげんがにんげんに
音楽は祈りのよう
形なき光
耳と心で感受する
無くても生きていけるものに救われているひとがいる
にんげんの暮らしを 心を
より”良く”するための祈りです
確かなのは心の震えだけ
すばらしいこと うつくしいこと
出会ったきらめきを描写する
光を伝えるために闇を描くこともある
大きな力はなくていい
細やかな祈りであれ
人は時偶 魔がさすが
音楽はいつまでも 在る限り在るままだ
あなたを救った音楽があなたを裏切ることはないだろう
みなさん、おはようございます。
お家でなにしましょうかねえ。
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先日、あたらしい曲『おちゃらけたよ』が、
サブスクリプションで配信開始となり、
ミュージックビデオも公開されました。
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今の状況では、きっと音楽を聴く気分になれない方も
たくさんいらっしゃるのだろうなと思いつつも、
私は日々音楽に救われ続けているから、
気が向いたときにでも聴いて頂けたら幸いです。
移動中欠かさず聴いている音楽の種類も、変わってきました。
眩しすぎず でもほの暖かく やわらかな色合い そんな音楽を
無意識的に選んでいるような気がします。
(具体的な例でいうと、レイハラカミさんやトクマルシューゴさん…)
なんとなく 陽だまりを求めているんだろうな。
どんな時でも安心できる体温ほどの温度で包んでくれるそんな場所を。
音楽は聴く人の居場所でもありますね。
いつでも出会った時の姿のまま、迎えてくれる。
LIVEだとまた違った表情になったりするけど、
知れば知るほど(聴けば聴くほど)「こんな一面があったんだ」など
発見がありますよねえ。
それもまた音楽のたのしいところのひとつ。
聴く媒体によっても変わってきますしね、CD レコード カセット。
全然違いますよね。音で言ったら私はカセットとレコードが好きだなあ。
移動中は基本的にサブスクリプションにしているから、
家でゆっくり作業しながら聴きたいのはレコード(ちょっと贅沢なきもち)
カセットも家で聴くけど、ポータブルカセットプレイヤーを持ってお散歩も
春の陽気にぴったりですね。でも今はできないか….。
余談ですが、サブスクリプション用のマスタリングとCD用のマスタリング、
本当は変えた方が良いんだなあって、
この間エンジニアさんと片寄さんと話していてハッとした。
正解はないんですが。
音量のことって、あんまり考えたことなかったけど(自分で調節できるから)、
サブスクで音楽聴くときって
いろんな音楽をたくさん聴けるからそのぶん、
聴いた瞬間の音量って大きい方がインパクトがあるのは当然だなあと。
単純に一聴して オッ て なるとゆーね。
印象重視の音作りの方がプレイリストでまとめられたときに耳に残ってもらいやすいだろうな。
CDは寧ろ自由にマスタリングできるかもねー、とか、そんなことを考えていました。
理想を叶えるのはなかなかリッチなことですけど、ほんとは適材適所な音楽がしたい。
リスナーが好きな媒体と音を選んで聴けるの、たのしいと思うし。
比較するのも面白そう(なかなかのマニアだ)
と、制作中の音源のMIXを聴き比べていたときに色々と閃いたのでした。
料理も最終調整で味を整えますよね、そんなかんじです。
ちょっぴり味を濃くしてみたり、甘みを足したり。
絵の工程でもありますね。
ほぼ完成の状態に最後、描き込んだり色を抜いてみたり…。
少し手を加えただけで不思議な位変わったりするので面白いなーて。
いちばんおいしいところ、たのしい作業でもありますね。
うーん、音楽探検隊。奥深し。(ジツニオモシロイ)
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さてさて
なんだか脱線してしまいましたが、
今回は新曲『おちゃらけたよ』について書きます。
この曲はインドネシア在住の同い年ビートメイカーpxzvcさんと作った楽曲です。
彼との出会いは小袋成彬さんからのご紹介でした。
一年半ほど前、
小袋さんと『御伽の街』制作中いろんなやりとりをしているなかで、
「カッコイイビートメイカーいるんだよねー」と、
紹介してくださったのがこの曲
いや〜 すきですよね〜〜
と、なり、気になりチェックしていた矢先に
小袋さんはインドネシアまで会いに行っていたのだ!(行動力がすごい)(見習いたい)
インドネシアから連絡が「彼、daokoの曲が好きだったんだって」と!
え、ええ〜海を越えて、そんな偶然、ある?!まいったな〜と舞い上がり、
3人のグループを作って貰ったのがきっかけです。
そこからpxzvcさんとは2曲demoを作り(ソッコーでトラック来て最高だった)
その中の1曲がこの『おちゃらけたよ』なんです。
当時私が見た渋谷はスクランブルスクエア建設中だったり、
駅周辺はものすごいスピードで変わっていってる最中。
元々渋谷の古着屋さんBOYとの出会いであったり、
旧PARCO内の2.5Dでライブをしたり、円山町で友人たちと遊んだり、
ティーンを過ごした思い出深い土地ではあったのですが、
トイズファクトリーに所属してからは益々訪れる機会が増え、
見慣れた景色がなんとなくぼんやりとあったんです。
そしてある日ふと空を見上げたら、空がビルで殆どみえなくなっていた。
自然物がない 完璧なデザインの集合体が増殖していく
人間の肌色がなんだか浮いてるような 居心地の悪さを感じて、
これは私がこの街に見合っていないのか 生命のスピードが
まったく追いついていかない 歩むごと 離れていく 街と私。
焦燥をかんじながらも、絶望もできない。
そんな、なんともいえない気持ちを表現した曲です。
歌詞で「熱量 漏れ出す疫病」と書きましたが、
これはコロナには全く関係ありません。
そもそも制作は1年半前にしていましたから。
どんな偶然だい。と思いながら、
不安を煽るような感じ方をさせてしまっていたら申し訳ないです。
これはSNSやニュースを見たときに感じる、“人々の漏電”を
暗喩した文でした。
どろどろと、人間のエネルギーが垂れ流されていく、簡単に。
よくない風潮が人と人に伝染していっている。
それを傍観している少女の目線で語っています。
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⚪︎
おちゃらけたよ
渋滞した脳幹に囁やけば 勝算なんか冗談にして
好感を買えるのは 余裕かどうか必死かどうか
どちらかなんだ
どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ
死ぬ程なんて 死んでから言ってくれないか
爽快なやつを頼むよ
カッといってクッと見渡せるやつを
今日もシャワーで実像の汚れを落とそう
排水口から逃げ出すことはできなそう
「何もかもなくなれば!」と滅亡を願っても
数分後には笑えるよ 熱量 漏れ出す疫病
どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ
どんな言葉で言えばいいんだろうね
街に出たら賑わいと酸欠で おちゃらけたよ
ひとりで喚く力も
いつのまにかなくなっていた
見透かしたような言葉で
わたしを閉じ込めて 何が楽しいの?
どんな気持ちで居たらいいんだろうね
外に出たら明るくて冷たくて おちゃらけたよ
どんな言葉で言えばいいんだろうね
街に出たら賑わいと酸欠で おちゃらけたよ
⚪︎
⚪︎
⚪︎
今回のミュージックビデオはまずコンテを描き、そのコンテを元に
古くからの友人でもあるKota Watanabeさんと一緒に作り上げていきました。
絵は浮かんでも、それを実際三次元で実現することはひとりではできない。
今回関わってくれたひとたちのお陰で、
私の頭の中だけにあったイメージが、誰しもが観れる形で実現した。
頭から飛び出したような感覚。カンドーです!
四角い窓だけある 白い部屋 白い衣装 胸に赤い丸
ひとりで踊っている少女 シュール すこしこわい
こんなイメージで作り始めました。
衣装制作は飯嶋久美子さん(通称ぽろんちゃん)
ヘアメイクは久慈愛さん(通称ヘアメイク界のディーヴァ)
なんて愛に溢れた現場でしょうか。
そして今回とってもお世話になったのが、ELEVENPLAYのNON先生です。
ShibuyaKの時からのお付き合いで、ここ数年は個人レッスンでダンスを教わっている広島弁がめちゃんこかわいい尊敬する恩師です。
コンテに寄り添って、なおかつ私の癖を理解した上でピッタリな振りを
作ってきてくれるんです…。
踊るの楽しくて好きだし、何よりNONさんが大好きすぎるので、
教わり続けていきたいなー。
普段は私の好きな曲に振りをつけて頂き踊ったりしてます。
これがめっちゃたのしい(笑) りふれっしゅや〜
照明は光の魔術師と名高い yukimaeshimaさんです。
今回白い部屋だけというロケーションの中で、朝と昼と夜の移り変わりを
照明で表現してくださっています。す、すごい。
まえしーさんの光、なんとも綺麗で好きなんですよね。
いつもみなさんありがとう。
おふしょっと
(胸の赤丸は自分でペイントしましたアクリル絵の具で)
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ここまで読んで頂きありがとうございました。
どんな気持ちでいたらいいかわからないひとがたくさんいると思います。
私もそのひとりです。
今は、音楽が心休まる場所になればいいな。
そんな祈りを込めた曲のご紹介でした。
どうかみなさまご自愛くださいね。
ダヲコ